好き、という気持ちについて考えている。
私は好きなものがすくない。
心が振れるものがなかなか無くて、いつもいつも冷めた自分が張り付いてて夢中になれなくて、毎日きゃあきゃあはしゃいで生きてくクラスの女の子すらすごく羨ましかった。きらいなものは簡単に増えるのに「すき!」がよくわからなくて、このまま淡々と生きるのはつらいなと思った。
好きなものができた。
詩を書くことがすき。
沢山かいて、ちょっとずつ見てくれるひとも増えて。書くことについては考え始めると止まらなくて、話す声もどこまでも弾む自分をみつけた。
音楽がすき。
気持ちいいなって音に歌声に幸せを感じた。大好きだよって応援したいひとを沢山みつけた。
すき、をいっぱい持って、それを伝えようとしているうちに同じすきを持っているひとと出会えた。
大好きな音をつくるひとに、歌詞を頼まれた。
世界がだんだん変わった。
好き に浸かってる時間だけはキラキラし始めた。
好きに浸ってない時間は相変わらずダメダメで、いろんなことがうまく出来ない。身体がもうあんまり動かせなくなって、心も強くなれないままで、自分を好きになりたい、は何年頑張っても出来ない、嫌い。
好き、に縋るようになった。
嫌い、に埋め尽くされそうで、いつも「良かった、まだ今日の私はこれを好きでいられた、」そう唱えて縋った。純粋な「大好き」かはもうわからなくなっちゃったけど縋った。全力で「好き!」が言える自分だけはちょっぴり好きになれる気がした。
書くことが好きな私でいたい、好きをなくしたらもう立っていられないと思った。
すぐになにかに縋ろうとする、わるいくせだとは気づいてる。人に依存するより良いでしょって言い訳してる。
好き、に慣れてないだけならいいな。
すきなものが増えるほどに、嫌いなことと関わることがつらくなっていく。すきなものに触れるほどに、すきなのにもっとうまくなりたいのに伝えたいのに、って沢山つらくなる。
それも幸せなんだって気づきたい。
いつか、好き!をできる私を含めた私、をすきになりたい。