ふたりとも、それぞれが、自分の問題で
不安定で
そういうときは、心細くても
距離をあけたほうがいいんだなぁと
もう、何回めになるのか?
似たパターンで、
言いたかったけど言わなかった、と
うっすら貯まってから吐き出され
手渡された気持ちを、ちぇ、って思って
何日か経って、
ああ、もう、これで最後かも、って
気まずい気持ちを
毎回思いながら
なんとなく、元気?って
声かけたら
お互い、それぞれの時間のなかで
とてもいろいろありまして、と
誤解や、ごめんね、を
伝えあって、愚にもつかない話で
夜は更けた。
ここに小瓶を流すとき
こんな話が、近年多い。
私自身、小さい頃から、
他人に、思いを、伝えることを、
諦めてきたから
ケンカもしたことない。
私の周りもそんなひとが多くて
いい大人だけど、5歳児からやり直し。
押したり引いたり、待ったり、待たされたり
塩梅はそんなふうに
テクニックじゃなく
マニュアルのない、いま、というど真ん中を
歩きながら、拾ったり、気づいていくのかもしれない。
あしたの私たちは
どこを走っているのかはわからないけれど
臆病風に吹かれながらも
風をきって生きていく気持ちは
きっとあると思うんだ 。
話ができてよかった。
バカな話は、たのしいね。