はじめは仲良しから始まります。
相手を知るに従い徐々に好きになります。
…そのあたりから、嫌われ始めます。
恐らく好きという気持ちが伝わっているのだと思います。
はじめは相手から遊びや食事などのお誘いをもらいます。
LINEやメールのやりとりも適度に続きます。
私が意識し始める頃、徐々にお誘いがなくなります。
こちらが誘ってもいい返事をもらえなくなります。
適度に続いていたやりとりも一方的か既読スルーで終わります。
こちらから何とかつなげようとした縁は、拒絶という形で振りほどかれて
恋心とともに取り残されておわります。
きっと私の内面や本質を見抜かれるのだと思います。
見栄っ張りの嘘つきで依存体質の傍若無人に好かれるなんて最悪の極みだと思います。
それでも、もしかしたらとそんな私でも受け入れてもらえるのではと期待を抱き最後は泣いて終わる結果が待っています。
自分に原因があったと理解はしても、なかなか虚しさや悲しさ、
ぽっかりと穴が開いたような気持ちまでは受容しきれず、何度も何度も
この縁がきれるまでの流れが走馬灯のように駆け巡っていきます。
傷心痛ポエム文章を読んでくださりありがとうございます。
似たような境遇で負の連鎖を断ち切ることができた方はどのように自分を変えたのか聞かせてください。
ななしさん
本当の自分に縛られていませんか。
ありのままの自分を受け入れて欲しいという願いがあるみたいだけど、そもそも「ありのままの自分」て、相手によって違ってくると思うんです。
例えば、普段は遅刻ばかりの人でも、好きな人とのデートなら絶対に遅刻しませんよね?
つまり「遅刻ばかり」と「好きな人と一緒の時は遅刻しない」、どちらもその人のありのままの姿です。
普段はテキトーに料理を作る人でも、お客様が来る時はきちんと作りますよね?
「テキトー料理で済ませるテキトーさん」も、「もてなしの心を込めて作れる優しい人」も、両方ありのままの姿。
「見栄っ張りの嘘つきで依存体質の傍若無人」
あなたが自分のマイナス点としてあげている部分ですが、ここの部分は、多かれ少なかれ、誰の心にもある欠点だと私は思います。私自身の中にだって傍若無人な部分がある。
こういう弱味があっても、「人としておかしいよ」とは責める気にはなりません。少なくとも私はね。
でも、欠点だと理解しているからこそ、好きな人にはそれを見せたくないと思いませんか?
「こんな自分嫌だな」と感じる部分を、相手にぶつけて困らせたくないって、そんな風に思いませんか。
あなたはきっと最初そう思っていて、見せないようにしているから、相手が近づいてきてくれるんだと思います。
その「見せないようにしよう」とする気持ちは見栄や嘘じゃありません。
自分の欠点で相手を傷つけないようにしようとする、それもまた、あなたのありのままの姿です。
そして、そうやって元々の性格や言動とは別に、相手にとって優しい自分であろうとする努力、相手の為にいくらか自分の欲求を譲ってあげようとする気持ちを、「愛」というんだと私は思います。
隠していることに罪悪感を感じていませんか?
「本当の自分はこんなのじゃない」と思っていませんか?だから良い子を演じているみたいな気がしてそれがストレスで、嫌な所がある自分も受け入れてもらいたいと思うのでは。
本当の自分、て、実はたくさんあるんですよ。正反対でもどっちも自分。
自分のことしか考えていないワガママなあなたが存在する一方、誰かを気遣い愛することが出来るあなたもちゃんと存在していること。
どっちもあなたで、好きな人に見せたい姿はどっちかもあなたが自分で選べるってこと。
それに気づけたら、自分が嫌いな「傍若無人」とは違う姿で、誰かをずっと愛し、ずっと一緒にいることも出来ると思います。