どんなに世界を捉える認識が変わったと
しても、無意識下の信念みたいなものは
変わらないし、技能が上がるわけでもないし、
つまり現実は変わらない。落胆してしまう。
何かは変わるんじゃないかっていう希望が
砕かれる感じ。すると、不安に覆われ、
負のループが始まる。
焦るな。心を静かに。落ち着いて状況を
見守る。それができないと。違うんだよな。
というより、比べているし。そうやって
客観的に見られるようになっただけでも。
ああ焦っている。何故だろう。本当は優秀で
いたいのに、結果は振るわず、我慢している。
こんなこともう続けたくない。結果が出ない
ことなんて、やっている意味がない。
なぜなら認められるためにやっているから。
仕事なんて本当はしたくない。今日はどこへ
行って何をして自然から色んな気付きを得て、
創造的な、生きている実感の湧く暮らしが
したいのに。比較の世界、承認欲求がヒリヒリと
刺激されるような無価値感の世界にはもういたく
ないのに。周りがそれを許さないのではなく、
私がそれを許していない。あなたはこういう
人間なんだよという刷り込みが強過ぎて、
どうしてもそちらへ流されてしまう。
そう夢。残っている、ビジョンが。引き寄せる
かのように。やっぱり駄目だなとか。嫌な
気持ちになる。チャンスだ。これを乗り越える。
結果が出なくて悔しい思い、責めたり、反省
してグルグル終わりのない思考の迷路に入り
込んだり。迷路に入る前の悔しい、自分の
存在が否定されたような分離感。不正解の
罰を背負ったような重圧感。息苦しさ。この
感情を味わい尽くす。これを全くやって
来なかった。辛いからなるべく見ない
ように避けてきた。自分の価値は何かが
達成された時に生まれるのではない。
何かの行動に伴う感情を体験することに
価値があるのだ。その時その場所で、
私しか体験し得ないことなのだから。
快であろうと不快であろうと。
不快は苦であると捉えている。本当
だろうか。例えばゴミを捨てておいて
下さいと渡された時。自分がゴミのような
扱いをされたかのようなショックを受ける。
不快である。もっと詳しく見ていくと、
ゴミを渡されたことでなく、相手から
そのように思われているのではないかと
感じて、しかもそれが自分の存在価値だと
思ってしまう。不快とはすなわち、自分の
存在価値が揺らいだ時に感じるものであり、
苦しみなのかもしれない。それを思考し、
感情として現れる段階を不快といい、
無意識で感じている、私は無価値だという
信念に触れると苦しみという。
思考も信念も無価値だと捉えている時に
ネガティブな方向に行くのだろう。そこが
変わっていかない。そこを超えて行こう。
つまり、思考でも無意識でも無価値だと
感じて不快であり苦しいと感じる体験を
していることは貴重であり、価値がある
のだと。そして価値は私が感じるもので
あって実際には存在しないのだと。いい
体験ができたなと。現実が変わることを
望んでいるのに一歩も進んだ実感がなく、
大きな壁を感じ、無価値感で苦しい。
そういう体験ができているのだと。その分
楽しい体験もしてみるかという気に
ならないでもない。
明日もどんどん気付いて行こう。
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