虐待の末親に殺された女の子のケースが連日ニュースになってる。
私は殺されなかったけれども、お願いだから殺してくれって親に対して思っていた。
女の子は生きたかっただろうか。
生き延びてからの人生は本当に長く辛い。もう虐待という事実はなくなるのに、虐待で抱える目に見えない障害と生きる苦しみ。
誰か1人でも護ってくれた人がいるとサバイバーは回復するって読んだ。私にはいなかったけれど、殺された女の子にもその存在がなかったから助からなかったんだね。女の子は死んだことによってその後の人生の苦しみから解放されて、業も消えた。そう思いたい。
私はまだ生きてる。生きてる意味を問い続けて、自分と同じようなサバイバーをサポートする職種についた。でも限界を感じる。使命を果たしても自分自身の障害はよくならないし、サバイバーに対しても本当に限られたことしかできない。
唯一の人生の羅針盤も失い、どうしたらいいのかって思いながら生きてる。
女の子、苦しかったね痛かったね悔しかったね辛かったね、愛されたかったね。
あなたの生命がどうか休息を得て、業を落とし、今度は必ず受けられなかった愛情や保護を受けられる生を授かりますように。私の祈りを精一杯送ります。
ななしさん
あなたはたしかに不足を感じるかもしれない。でもそれはあなたが本当に真摯に物事を見据えているから。
大丈夫、あなたが居なかったらより救われなかった命がある。そんな大切な場所にあなたは身を置いた。普通なら鬱屈して沈んでしまうのも無理ないのに、現実逃避しても仕方ないのに、明るい方へ進み人生を考えている、とても凄いことだと思う。私はあなたが小さい頃に行って護れたらなあと文章を読んで感じた。勿論、戻れたとしてもあなたが言うように難しい事だったろうけど。そしてもしかしたら私があなたの傍に居座ったらあなたは今の職に就いてないかもしれない。そう考えると、あなたの言うようにすべては見方なのだと思う。だから、良くないことかもしれないけれど、私は良かったと思った。あなたが生きてこの世界を手放さないでいてくれて。本当に今までありがとう。これからも陰ながら応援させてください。どこかであなたとすれ違う日を楽しみにして。あなたが幸せでありますよう祈ります。