私は根性論、いわゆる努力!!だとか死ぬ気でやろう!だとかそういった言葉を投げかけてくる人があまり好きじゃない。
だから毎年、某長時間番組で最後に流れる曲も、幼い頃から鳥肌立つし叫びたくなるくらい嫌悪感がある。あと、スポーツでの言葉の掛け合いとかも。
でも、そういう言葉って誰かしらの励みになったり原動力となったりしてるから、やっぱり私の感覚って少し変わってるのかなと思う。
なんでなのかな?ってずっと考えてきたけど今何となく漠然と考えてるのは、日々の生活のなかでいわゆる努力に値する行動や、頑張っていることを他人からのその一言でまとめられてしまうことになんか嫌だなって感じてしまってるのかなと思う。
でも、その言葉がなければ表現なんてできないし、なきゃ困るんですけど、多分自分以外から言葉という凝縮されたエネルギーを押し付けられることにやめてくれ!って反射的に押しのけてしまっているのかな?
それに言葉って自分が思っていた意図と違う方向に相手が解釈してしまう事があるじゃないですか。
それによって争いが生まれたり、人が追い詰められてしまったり。
例えばSNSである一言にたくさんのアドバイスがついていてそれがアドバイスとは思えないような内容でも、本人にとっては実体験だから書いたことによってだれかがその言葉で傷ついてしまうこととか。
そういう時って根本的に良くないものってどこにあるんでしょう?
私は今まで無責任に他人に言葉を投げかける人だと思っていました。(今は漠然と違うと思ってます)
だから私は誰かにアドバイスとかだけじゃなくてその人のためを思って言葉を発する事がすごい怖くて絶対に頭の中で会議をしてから言うようにしてます。(完全に面倒くさい人です。)
根拠がないのに自分の曖昧な考えや知識をこれはあくまで私の考え方だから参考までにねとかそういうワンクッションなく、ずけずけ言ってくる人が怖いです。
そういう人たちが物事を悪い方向に持っていくのが世の中なのかなと思います。
深夜に思いついた言葉をつらつらと書いてしまったので流れがぐちゃぐちゃになってますね。
((矛盾がいっぱい))
こういうの普段はすごい気にするけど、ここだから、許してください。
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なんとなく、解るというか、重なる部分のあるような、そんな感じがする。
何といえばいいのか…
俺の場合、小瓶主さんの書いた事も解らんでもないんだが、「頑張れ」と言われると、何か、その思いと言うのか、そういう気持ちは有難いんだが、反面それを裏切ったり、背いてしまえなくなるというか、背中をおされているのだと、深刻に捉えてしまってな。
今はそうでもないが、それを重荷というか、重く捉えてしまって、結果的に自分を追い込んでしまったりした事があったからか、何かしら抵抗感があるんだよな。
俺も、何かものを伝える時に不安で、頭の中で会議的な、「これは本当に大丈夫か」「これはダメなんじゃないか」、「どこがダメだと感じるのだ」「これなら大丈夫そうな表現か?」といったやり取りをしてる。
何だろうな、俺みたいに、言葉の重みやら、人との関わりやらを深刻に、重く深く考え過ぎれば、人と関わる事に疲れたりもするし、かといって浅いというか、軽く考え過ぎれば、軽率な言葉として人を傷付けてしまいかねないし、その傷付けたという認識さえないまま、通り過ぎてしまう事もある。
何が良いのか悪いのか、なんとも言えないが、気になるのなら俺としてはそれについてちゃんと考えて、対処なりその後の対応なり、出来そうな事には目星を付けた上で行動したいと思っている。
(しっかり考えてもはっきりとした対応やらが見えてこなかったり、行動してみて上手くいかない時もあるが)
自分の気持ちの整理というか、ケアも込みでな!(忘れる時もあるが)
そういう人達…、言葉はアレだが、軽率な発言ばかりをしてしまう人達が、世の中を悪くしていく…かどうかは、解らん。
深刻に、深く考えるが故に、ネガティブな捉え方というのか、デメリットを主軸にした考え方をする場合はあるし、その考えからなるものの言い方次第では、自分自身の言葉が他の人に悪い影響を与えてしまう事もあるかもしれない。
他にも、軽い思いや考えでも、深刻な思いや考えでも、捉え方というのは人それぞれだ。
例えば俺が、何気なく、誰を傷付けようという訳でもなく、自分の意見として「しいたけ嫌い」と言ったとして、他にしいたけの好きな人は、それだけでショックを受ける場合もあるだろう。
大きなショックを受けて、深刻に考えればこそ、最悪の場合…、流石に極端すぎる話ではあるが、俺の事を恨んで殺そうとしてくる事さえあるかもしれない。
この場合、軽い気持ちで言葉を発しようと、深く考えて言葉を選ぼうと、ショックを受ける人は、関係なく受ける可能性もある。
ただ、大体こういう場合に付き物なのは、「お互いの事をよく知らず、知らないが故に決め付けで物事が進んでいる」というものだろうか。
例えば、俺が他の周りの人から、「私たちはしいたけが好きだ」と言われれば、自分の居場所がないように感じたりする事もあるかもしれない。
だが、よく考えると、そのしいたけが好きな人達は、俺がしいたけを嫌いな事を知らないかもしれないし、悪意がある訳でもないかもしれない。
「悪いが、俺はしいたけが嫌いだ」と言葉を発しても、「まあそういう事もあるよね」と受け入れてくれる可能性もある。
深刻に考える上での話だが、不安な気持ちや焦りなどから、視野が狭まるとでも言えるような、考えの固定から、ちょっとした前提が抜け落ちる事もない訳ではない。
根本的に良くないとされるものを考える上では…、何を根本として、良くないと考えるかにもよる為に上手くは言えんが、基本的に人間関係上の問題なので…
そこから考えると、片方どちらが全てにおいて全面的に悪いと明確に断ぜられるケースは中々ないし、千差万別様々な価値観を持っている人々の中、何が問題の引き金になるかも解らん。
(その時々によって何が問題となるのかバラバラだと思うし、相手にしろ自分にしろ、複数の要素が組み合わさって問題となる場合もあるので、厳密な問題の特定が難しい場合は多い)
ただ、多くの場合フォローが出来ない場面というのも少ないかと思うし、謝るなり、そこから、理解からなる思いやりなり、周りの人が手を差し伸べるなり、気を付けられるというのか、出来る事も多くあるのではないかと思う。
うーん、まあとにかく…
一緒くたというか、全てそれで解決できるようなゴリ押しの言葉として、根性論を推し進めるように、個人への理解や配慮なしに、決め付けて物事を進め過ぎるのは良くないのかもしれんな。
実際、根性というのかなあ…、気分も、精神と言えど、身体の一部なのだから、消耗もするし、限度のようなものもある訳で、「元気出せよ」と言われて元気が出る場合もあるだろうから、その時は良いのだが…
逆に出ない時もあるので、その時にゴリ押しされると更に辛くなるだけだという理解や、現実に目の前で起きている、現状の正しい把握…、もしくは、解らない部分は解らないと認識し、何かしら理由があると決め付けて、下手に押し進めない事などが必要なのかもしれん。
…精神病にも通ずる問題だが、「精神」という認識から、自立神経系バランスが関わる病気で、身体も関わる問題であるにも関わらず、気分でどうにでもなる問題であると認知されて、割と軽視されがちでもあったし、病気としてもかなり診断の難しい、専門知識や技術をそれなりに求められる部類のものらしいので、それを一般的な人が見分けられるかと問えば難しい。
参考になるか解らんが、躁鬱病や統合失調症、不安障害など、気分だけでどうにかなるというのであればそのような病状的診断はされないし、治療する為の区分として病名など存在しない。
そもそも、その「気分」と呼ぶ部分に関しての病なのだから、あれこれと本人がどうにかする事もまた難しい。
…昔の時代を嘆く訳ではないし、昔の時代の流行や傾向によって、プロレスの猪木だとか、某ウルトラマンのレオだとか、色んなものもあっただろう、それによって勇気、元気付けられ、乗り越えて来た方々もいらっしゃっただろうが、時には、気持ちで何とかならない場合もあるのだという認識も大事なのだと思う。
勿論の事、気持ちは大事なものだと思うが、同時に己に関わる身体の内の、大切な一因でもある。
要は、その大切さが抜けてしまった上で、気の持ちようで全て解決できるというような言葉は、場にそぐわなくなってしまう事もあるし、最悪逆効果にもなりうるかもしれないと思う。
どんな言葉でもそうなのだがな、自分の言葉や、相手の言葉が、どんな思いを持って、どんな立場…、どんな背景から、どこへ向かって言葉を発しているのかを省みて、吟味する必要性があるのかもしれん。
そこが伝わっておらず、困ったすれ違い…、誤解が起こったり、誤解から、諍いが起きるなどすれば、改めて説明して見たり、日を跨いだりした後に落ち着いてからもう一度考えてみるなど、が思い付く。
他には、言葉の書き方、伝え方とかもだな。
俺が「しいたけなど嫌いだ、この世から消えてなくなってしまえばいい」と、思う分には自由だが、それを口に出し、しいたけ好きの人がショックを受ければ、「お前はしいたけが嫌いかもしれんが、私は好きなんだ。お前こそこの世から消えてしまえ」といった発言に繋がる事もあるだろう。
だが、「しいたけ好きの人がいるのは解っているが、どうしても好きになれない。この世からしいたけがなくなれば楽に生きられるのに」なんて書いてみると、先ほどのものより、多少は、なんというか、辛いんだな、深刻なんだな、という理解はしやすいだろうしな。
受け手にもよると言えばそうで、そこは幾ら気を付けても起こる時は起きてしまうものなんだが、「しいたけが嫌いで、辛い」という思いを言葉に込める際、あまりにも過激な言葉で表現すると、他の人に飛び火しやすい事はあると思う。
そういった点から、自分の気持ちを伝えたい時には、暴言になってしまったり、罵倒になってしまったりという部分には気を遣った方がいいのかもしれん。
また、「しいたけが嫌い」という事を示す時、しいたけの「何が嫌いなのか」という部分が省かれていると、どうしても説明したくないなら問題はないが、誤解を招きやすいだろうしな。
受け手側もその点、決め付けて物事、会話などを進めないよう「何が嫌いなのか見えていない」という事を理解しておく必要があると思う。
(因みに俺はしいたけの匂いと食感がダメだ。焼き椎茸などにしたり、鼻をつまんで食べても見たが、申し訳ない事に吐いてしまった。ほんの少量なら食べられるようにはなったが…、吐き気がその都度止まらなくなるので、進んで食べたいとは思えない。食える方々はすげえよ…)
今思い浮かぶのはこんな感じかね。
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