私は、物心ついたときからずっと、なんだかわからない焦りのような不安のような、憂うつな気分と共存してきた。
世間では、若さはかけがえのない魅力のように言うけれど、私は毎日続く憂うつな気分のせいで一度もそんな風に思ったことはなかったし、やっと大人になった今でも、やはり早く歳をとって人生が終わりますようにと願っている。
子供の頃は、きっと◯歳くらいになればもっと心が落ち着いて楽になるのではないか。と考えていたものだった。
しかしそうやって、今の年齢に差し掛かったけれど、生きづらさはひとつも変わらない。強いて言うなら昔よりも抗わず諦めることができるようになったくらいだ。きっとこの先何歳になっても憂うつな気分は変わらないだろうということはわかる。
せっかく生まれてきたのだから、充実したい。
本音ではそう思っているけれど、人生には自分で決められる事柄はあまり多くないこともいい加減わかってきた。
この生きづらさから解放されたい。少なくとも、何も起こってすらいないのに感じてしまう理由なき不快な気分を取り除きたい。
もっと欲を言うなら、自分の人生を生きていると感じてみたい。
一昨年、友人と一緒に海外旅行へ行った。
これまでに、結婚、出産育児、離婚、ひとり親生活となり四苦八苦した経験を経て、やっと自分のためにやってみたかったことができると思った。
ところが、全く楽しみではなく、苦しかった。自分のために大金を使う罪悪感、行ってもまた帰国しなければならないという先取り不安、現地で死んでしまいたいという考えにとらわれた。
実際には、お金には代えられない素晴らしい経験だったので、その点は取り越し苦労であった。しかし帰国が憂うつになり、旅行中何度も友人に隠れて涙を流した。このまま失踪してしまおうかと考えたが、当然迷惑がかかるため踏みとどまった。
もし残れるのなら物乞いでもなんでも良かった。もちろん死んでも良かった。
私は、自殺が良い影響を与えるとは決して考えない。けれども、[死ねないから生きる]のなら、それは人間として尊厳をもち生きているとは言えないと思う。
これでも、自分の人生を、気分を少しでも良くするために、様々なことを試した。
私の仕事は、一度ドロップアウトした人々を再び社会に戻す仕事だ。だからいわゆる対人援助に関わるためのノウハウを学んできたし、個人的にもセラピーやカウンセリング、ワークショップにかなりのお金を払ってきた。思春期には精神科に通院していたこともある。
また、私以外の家族は信仰に熱心なので、そういった側面から物事を考えることも嫌いではない。
しかし、そのどれもが私の内面を救ってはくれなかったし、未だに自分の感情を扱いきれず、それどころかとても重荷に感じている。
だから共存するしかないのだ。
こういったツールや、思い立ったときに活用できる趣味や仕事も良い。
この小瓶を投稿するときに、最短で7日待ちだと表示された。運営の方が、ここを安全な場所にするためにひとつひとつを読んでチェックしてくださっている。他にやるべきことがたくさんある中で、悩むこともたくさんある中で。
私の心は相変わらず苦しいままだけれど、ここを作ってくれてありがとうございますと書きたいと思った。