10年前のある日自分は川崎市中原区の新日本学園に入所させられた、ここに来ればたくさん家族に会える当時の自分はそう言われたしかし
それは虚言に過ぎなかった、そう言っておけば子供が安心すると言う職員の気休めの言葉に過ぎなかった、実際会えるのは年に1〜3回くらい特に入所した年なんてあった覚えが殆どない、2人の兄と姉がいたからなんとかなったものの学童クラスに入ると、地獄だった毎日高校生の人に殴られ蹴られる毎日だった体はいつも傷だらけ、忘れる事のないトラウマを産み付けられた職員に行っても当然自分が悪くなる、お前がいなければそんなことは起きなかったと言われた年々エスカレートしてくるこの辛さ、普通の家庭で暮らしてる人にはわからないだろう、ちなみにコレは学校でも起きた組みの小学生の年上の人が学園の私情を持ち込み、行われていたそれは小学5年まで続いた、いつも姉や兄に守られっぱなしのまんまだった2人に迷惑をかけたくなかった、小6になってからは自分の兄がトップになりそう言う事が減った、しかし平和な時間はそう長く続かない兄は自分達より先に退所した、泣いた泣きじゃくった毎日が死にたかったまたあの日の地獄が蘇った中学になってからはさらにその範囲が広がっていった学校でも集団で言われ心が折れしまう毎日だった金品をくれと言われたり、断ると殴られたり集団で言われる正直情けなかった先生に言ったが、自分が悪いと言われてそのまま、気付いたらもう懐の金が消えていた、先生にも怒られたそんな事が続いて迎えた中学三年、自殺を何度も試みた年である、首吊りの仕方まで調べ実戦したものの高さが足りずに失敗、なら動脈切って出血多量で死のうと、腕を切りつけてた毎日が死にたいと言う気持ちだった高1になった今自立のためというだけで作られたユニットにぶち込まれたそこで待ってたのは地獄毎日陰口、罵倒先生からの差別正直死にたい何も変わっちゃいない嘘ばっか新日本学園を去りたいと言うか消えて無くなりたい