はやく死にたいです
「辛いのはみんな一緒なんだから」
「生きたくても生きられない人もいるんだから」
「生きてたら良いことあるから」
とか、飽きました
だから何なんだ?
って、思うんです
「いま」「わたしが」
辛くて死にたいんです
辛いのはみんな一緒っていうけど
その辛さ、本当に一緒なのか?と思うし
何の根拠を持って「一緒」って言えるのか
全く、分かりません
生きるのを望んでいるのに生きられないのは
本当に可哀想だし、
(いるか否かは置いといて) 神様は残酷だな、とも思います
でも、だからといって
自分が精一杯生きたとて
その人が報われるわけでは、ないです
その人は「その人」を生きたかったわけで、
「わたし」を生きたいわけではないからです
生きてて良かった、って思うことも
今まであったのかもしれないけど、
もう忘れました
こんな簡単に忘れてしまうような、
哀しみや辛さに埋もれてしまうような「良かった」なんて
本当に「あった」ことになるんでしょうか
それに、これから生きたとて
また新しい幸せがやってくるなんて
誰も保証してくれない
「生きてたら〜…」は、極めて無責任だと思うんです
「じゃあ死ねば?」という話なんですが
いやほんと、そうなんですよ
死にたいんですよ、冒頭にも書いた通り
でも、いまいち勇気ないんです
あ、そう
「死ぬ勇気あるなら、生きる勇気もあるだろ」
ってのも飽きました
勇気のベクトルが、全然違うからです
走る筋肉と、泳ぐ筋肉は違うくらい、
同じ身体内にあるけど、違うと思います
そんなこと言う人は
あ〜この人は本当の意味で哀しかったことないんだろうな
とも思います
話が逸れましたが
死ねないのは、母親がいるのも大きいです
幸いなことに健在で、楽しくて、優しい人なんです
だからこそ、申し訳なくて
でも「なんでわたしを産んだの」とも思います
思って、しまいます
わたしは難産だったらしく、
大変な思いをして産んだことを何度も聞かされます
アルバムにも、嬉しそうに書いてあります
でも、産まされた本人であるわたしは、
産まれた挙句、こんなに苦しくて、死にたいです
(何かの宗教的には、生きることが罪滅ぼし?とか何とか言いますけど、そんなこと知ったこっちゃないです)
母は、良くも悪くも明るくて楽観的なので
こういう話をしても
『考え過ぎよ〜』って、言うだけです
『死んじゃだめよ』とも言います
「なんで?生きてるなら死ぬ権利くらいあってもいいでしょ」と言い返したら
『なんでもへったくれもないの』と
きっと、良い意味で馬鹿なんだな、と思いました
馬鹿になれるって、実は凄くて
「まあいいや」が、適宜に使える人なんだと思うんです
わたしの場合、まあいいやを「適宜に」は使えないので
使い過ぎて堕落してしまうか
使えなさ過ぎて自分を殺してしまうか
この二択なんですね
違う意味で、阿保ですよね
とにかく、はやく死にたいんです
検索欄に殴り書くように
《早く死にたい》と打つのも、飽きてきました
そろそろ本格的に死にたいんですが
甘ったれた人間なので
こんなことを思うくせに痛いのが嫌で
実行に移せていません
ある程度しぬ方針と方向性は掴めてるのに
こんなことすら、実行に移せない
極めて糞な人間ですよね
何かのサイトで
『生きる道は一つじゃない』とか何とか見ました
わたしは
自分の理想通りの人生でなかったら
生きる意味なんてないと思っています
なんとなく就職して、なんとなく食べて
なんとなくSNSして、なんとなく笑って、
なんとなく生きて、なんとなく死ぬ
そんなの、
文字通り、死ぬほど嫌です
かといって
自分の理想通りの人生を叶えるには
努力と、体力と、縁と、運が要ります
わたしは、いま、
自分次第でどうにかなる「努力」すら
やる気力が、ないんです
文字通り、糞みたいな人間です
わたしの理想の人生を送るには
ある程度のタイムリミットがあります
刻一刻と迫ってて、やらなきゃいけないことも分かってるのに
やれない、何故かやれないんです
そのくせ、勝手に死にたいとかほざいて
理想の人生がどうだとか言って
つくづく、価値のない人間だと思います
赤ちゃんや小さい子は嫌いではないし、
むしろ好きですが
こんな親に育てられるくらいなら
人生がこんなに辛いのなら
産んであげない方がいいと思うので
結婚や出産も、自分で道を絶っています
自分が幸せでないのに
一人の人間を幸せにするなんて
絶対にできませんから
自分が育ち切ってないのに
人を一人育てるなんて
おこがましいし、不可能です
『親も一緒に育つ』『一緒に成長させてもらう』
とか言いますけど
「産む前に自分が育てよ」
と、思います
そんな未熟な人間に、育てられたくないですからね
かといって、どんな状態が「完熟」なのかは
わたしは分かりませんが
幸い、父や母を心底嫌ったり
殺したいほど憎んだり、なんてことはないのですが
『産まれてきてくれて嬉しかった』やら
『大切だから死なないで』やら言われても
「それはあなたの感想であって、わたしの利益にはならない」
と、思ってしまいます
その感情が、
どれだけ尊く、
有難いものと分かっていても、です
勝手な人間ですね、わたしって
やっぱり死んだ方がいいです
こんな人間が、
今も空気を吸って、文明のある場所にいて
教育のある国に生まれ、愛のある家庭に育っていることが
心底、申し訳ないです
ごめんなさい
恵まれず、全てを望むどこかの誰か
本当にごめんなさい
代わってあげられるものなら、代わってあげたい
代わりにわたしが、あなたの負や不を全て背負い、
死にますのに
ごめんなさい
生きられなくてごめんなさい
死ねなくてごめんなさい
有意義で意味のある人生にできなくてごめんなさい
愛に応えられなくてごめんなさい
産んでくれたのにごめんなさい
美味しいごはんを食べているのにごめんなさい
こんな読みにくい文章を
ここまで読んでくれてありがとう
せめてあなたは、幸せでいてください
こんな人間だけど
自分の戯言を聞いてくれた、知らない誰かの幸せを願うことくらいは
どうか許してください
ありがとう、さようなら。
名前のない小瓶
109329通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
お返事が届いています
ななしさん
ほっといてもどうせいつかは死ぬから、あなたもわたしも。あなたもまだ生きてる今、できるだけ好きなことして過ごしたらいいと思います。何してたってどんなひとだって、いつかはみんな死んでしまうから。死にたいわと思いながら何かして過ごしてみるのも一興ではないでしょうか。
名前のない小瓶
(小瓶主)
こんばんは、小瓶主です
お察しの通り、
相変わらず、死ねておりません
この投稿欄に
捨てるように殴り書いてから、数日…
ふと「小瓶」のことが気になり、
検索履歴を遡ってみたら
まさか「お返事」の機能があるとは…
そしてそれが4件も…
正直、とてもびっくりしています
と同時に、とても嬉しいです
ありがとうございます
現時点で4つのお返事を頂いてるので
簡単にはなってしまいますが、
お返事のお返事を、させてください
また、
この「小瓶」に殴り書いた時は
本当に波が強くて
非常に暗く黒い気持ちになっていたのですが、
幸い、いま少しそれらがほぐれてきて、
なおかつ、皆さんのお返事を拝読して、
「小瓶」の時の気持ちから
少し優しい気持ちになれたので、
なんて言うんでしょう、
頂いたお返事に対しての「お返事」には、
なってないかもしれないんですが、
どうか許していただけたらと思います。
【一番目の方へ】
お返事ありがとうございます。
奇遇なことに、
わたしも、大学のサークル内での出来事をきっかけに
心のバランスが保てなくなった身なので、
勝手に親近感を抱いています。
ずるずる引っ張って、3年ほど経ちますが
色んなことが相まってか、
時々こうして、暗い波に飲み込まれ
半透明な水の中にいるような毎日になってしまいます。
辛いですよね。
行きたかった大学で、憧れていた場所で、
まさか、死を願うほど辛い思いをするなんて。
どんな出来事だったのかが分からないので
そのお気持ちは計り知れませんが、
きっと痛いほど、よく分かってしまうと思います。
頂いたお返事の中の
『もしあなたがこの世から〜…』の箇所で、
わたしの大好きな言葉《バタフライエフェクト》を
思い出しました。
わたしは、蝶の羽ばたきにも劣るくらい
微々たることしかできないかもしれませんが、
こうして、お顔もお名前も知らない方のお心を
少しでも晴らすことができたのなら、
とても嬉しく思います。ありがとうございます。
わたしの心を、お返事で晴らしてくださってありがとう。
言葉ひとつ一つ、優しく降ってくる感覚がしました。
明日もお元気でいてください。
【2番目の方へ】
お返事ありがとうございます。
苦しいですよね、痛いですよね。
お返事の中の言葉から垣間見える気持ちが
手に取るように感じられて、
あなたが今、とっても苦しい状態にあるのだなと
胸が苦しくなりました。
と同時に、
あなたの言葉遣いや、口調から、
「優しい方なんだろうな」というのも、感じました。
あなたから頂いた大事な言葉を
否定したくはないのですが、
わたしは、全然いい人なんかじゃないんです。
友達もいなければ、恋人もいなくって。
自分の気持ちや考えが強い分、
仲良くしてくれる人を、尽く傷つけてしまうのです。
俗に言う「立ち回り」があまり上手ではないらしく、
集団の中にいても浮いてしまうような、
そんな人なんです。
でも、わたしの考えや気持ちを
こうして読んでくださって、
心がほぐれたり、素敵だと思ってくださったのなら、
この「強すぎる気や考え」も、
悪くないな、と、ふと思いました。
死にたがりなわたしに
『死なないで』と言ってくださったのだから、
わたしからも一つ、お願いさせてください。
きっとあなたは、優しい人です。
見知らぬわたしにも、わざわざ筆をとって、
こうしてお返事を書いて、
わたしの多幸を願ってくださるのだから。
だから、
ご自身にも、もっと優しくしてあげてください。
自分自身に優しく、労ってあげてください。
これは、見知らぬわたしとの、約束です。
明日が、優しい日でありますように。
【3番目の方へ】
お返事ありがとうございます。
あなたは、なんだかユニークな方ですね。
なぜか分かりませんが、拝読してそう思いました。
割り切った、かつ現実的なお返事に
気付かされることや、改めて分かったこともあり、
一周まわって、清々しい気持ちになっています。
乗り越えられる、打破できるように、
なれたらいいな…
お返事ありがとうございました。
【4番目の方へ】
お返事ありがとうございます。
無責任な言葉たち、人たちには、
本当に哀しくなりますよね。
一見すると「それらしく当たり障りのない便利な言葉」でもあるので
つい、言ってしまいがちで。
だからこそ、軽々しく聞こえるのかもしれません。
仲のいい人や信頼のあった人から
直接その言葉を受け取ったら、
逆に、とても哀しくなってしまいますよね。
お仕事に関することも、とてもよく分かります。
わたしも、
特に好きではないこと、やりたくないことで
お金を頂いてる立場なんですが、
仕事ですから「誰かの役には立ってる」のは
頭では分かるものの、
見たこともない、知りもしない人の役に立って
自分の何になるのか、
はたまた本当に役に立てているのか、
何とも言えない不安に取り憑かれる時があります。
それでもあなたは仕事に行くんですから、
とっても偉いと思います。すごいです。
わたしはすぐ辞めたくなってしまうので…
わたしの、何とも言えない虚無感に
共感してくださってありがとうございます。
年末は、どんな仕事でも慌ただしくなりますから、
心も体も、充分に休ませて
温かくして、ごはんもたくさん食べて、
どうかご自愛くださいね。
以上です。
誤字脱字、変な言葉や言い回しになっていたら
申し訳ないです。
4名の方それぞれに、
本当にありがとうございました。
おやすみなさい。
ななしさん
まるで私がずっと思っていたことを代弁してくれたかのようです。私も周りの人達やマスコミの無責任でポジティブな言葉にいつも疑問を持っていました。私の幼少期からの苦労や虚しさ、現在の苦しさを何も知らないくせに、無駄にポジティブな精神論、イライラします。そして私も毎日のように(自分で終えることは怖くてできない)消えたいな、、明日には消えてたらいいのに、、と思いながら惰性で日々をすごしています。
シフトに穴をあけるわけにはいかないのでとりあえず仕事には行きますが、やりがいもないし、別に私は頭数合わせなだけで別にいてもいなくてもいい存在なので「今日で辞めます」と言っても引きとめらないだろうな、と思いながら一日仕事して、、というつまらない毎日です。何のも楽しみもありません。
でも、ここにくると何だかホッとするんです。悩みはそれぞれ違うけど、似たような空虚感を持った方々がいてくれることで安心するんです。日常生活では無駄にポジティブでいなきゃいけないけど、ここではネガティブでも全然OKだから。
あなたの小瓶で救われてる人間もいる。それだけは忘れないでください
ななしさん
戯言でもなんでもない。
色々考えて、こう言われたらこう、ああ言われたらこう、ってとこまで、それこそ嫌になるほど考えた結果がここに書いてあるのだろうから。
ただ考える事と実行することの間にはでかい壁があるっていうよ。
その壁を乗り越える力か素通りする鈍感力かもしくはそれ以外の力か分からないけど、そういうのがあなたに備わった時に、新しく生きるかそれとも望み通り死ねるかが決まるんだろう。
それまでは人の幸せを願うことぐらい許されるさ。
ななしさん
こんにちは
私も死にたいと思っている一人の人間です。
あなたのお手紙を読んで、涙が出そうになりました。
自分の意見をしっかりと持っていて素敵だと思います。
そして、人の幸せを願うことができるのも素敵だと思います。
文章を読んで、あなたがいい人だというのがとても良く伝わりました。
どうか死なないでください。あなたの文章で救われた人が少なくともここに一人います。
あなたのおかげで、辛かった心が安らぎました。
あなたのもとに、もっとたくさんの幸せが訪れますように
語彙力がなく、うまくお返事になっていないかもしれませんが、お許しください。
名前のない小瓶
もしかしてこんなことを言ったら「分かってたまるか」と思われてしまうかも知れませんが、あなたの気持ち、痛いほどよく分かります。
「生きてたらいいことあるから」って、何て無責任な言葉なんでしょうね。
心が健康な状態の人は未来の希望に目を向ける余裕があるのかも知れませんが、追い詰められてしまった人にとってはこれから良いことが起こるかもという希望や期待よりも「今まで良いことがなかったんだからこれからもあるはずがない」といった状態に陥りやすいと思います。
私も小瓶主さんと同じく死ぬこと(というよりその瞬間の痛みですかね)に対して抵抗があったので、結局実行に移すことはありませんでした。
恵まれなかった誰かのことを考えてあげたり、お母さんのことも考えに入れられるようなあなたはお母さん同様に優しい人だと思います。
もしかしたら小瓶主さんは、恵まれた状況にいながらも人生を終わらせてしまいたいと思っていることを贅沢だと考えてはいませんか?(違ったらごめんなさいね)
誰かにとっての死ぬほどの悩みというのは、そのほとんどが他の誰かにとっての贅沢な悩みです。
例えば、私は通っている大学で所属しているサークルについて、命を絶ってしまいたいほど悩んでいた時期がありました。でももし浪人していた頃の自分がこの悩みを聞いたら、「大学に入れているだけまだいいじゃない」と思ったと思います。
小瓶主さんは今生活している状況を申し訳なく思っているのだと思いますが、それに関しては思い詰める必要はきっとないです。周りの環境を全て有効に活用できている人なんてほとんどいません。無駄にしてしまっている、と考える必要もありません。
あなたにはあなたしか分からない、感じられないような悩みを抱えていることは事実です。それはどんなに周囲の環境に恵まれようと、関係のないことです。
それから「辛いのはみんな一緒」などの言葉に飽きたという気持ちも本当によく分かります。
みんな一緒だったら自分の苦しみは無かったことになるのか?と、つくづく訳の分からない理論だと思います。
生きたくても生きられなかった人のためにどうして自分が生きなきゃいけないんだ、とも思います。
全く関係ないですよね。
よくある話で貧しい国の人は満足にご飯を食べられないから、せめてお腹いっぱいに食べられる私たちは残さず完食しましょう。みたいなノリがありますが全く関係ないし意味も分かりません。
目の前にもう人生を辞めたいと考えている人がいるのに、どうして会ったこともなくて存在も知らないような不幸な人を引き合いに出して責めてくるんでしょうねこういう言葉たちは。
私の愚痴ばっかりみたいになってしまいましたが、何が言いたいかというとあなたは自分以外の人間のことを考えてあげられる素敵な人だということです。
追い詰められた当時の私には出来なかったことです。
もしあなたがこの世からいなくなってしまったら、本来はあなたに思いやられて救われる運命だった人が減ってしまうと思います。引き止める言葉をかけるつもりではありませんが、絶対にご家族も悲しみます。
少なくとも私はあなたに生きてほしいと思っています。(自分の何を知っているんだ、と言われたらそこまでですが………)
あなたは適当に生きることのできないとても真面目な人なんですね。
理想の人生を実現するためにタイムリミットがあるということですが、焦っていたほうが意外と空回りしてしまうものですよね。
私にも、なりたい自分の理想像というものが存在しましたがあまりにもそれとかけ離れていて病んでしまった時期もあったのでよく分かります。
死ぬほど悩んだことがあると書きましたが、私はどうして今も生きていてこうしてお返事を書けているのかというと、簡単に言えば今死ぬのはやめた、というだけです。
技術が進歩して全ての人間が不死になっていたとしたら、私は死を選択していたと思います。
でも幸か不幸か、そんな技術は今存在していないので、人間はいつか必ず死にますよね。
それが受動的か能動的か、早いか遅いかの違いだけです。
いつか必ず開放の日が来ると考えて、あのときの自分は死ぬを辞める選択をしたようです。
小瓶主さんが死ぬ勇気も出て、準備も万端だ!!という状況になったら止めませんが、少なくとも死ぬ事に抵抗があるうちは死を後回しにしてもいいと思います。
私はそうする事にしました。
あなたが今生きているのはあなた自身の人生なので、そんなに何回も「ごめんなさい」と言わなくてもいいんですよ。誰にも迷惑はかかっていませんよ。もしくはそう思い込んでいるだけです。
人生は始めることと終えることしか出来ないと考えてらっしゃると思いますが、お休みすることもできなくはないです。
小瓶主さんにとってどれくらいの時間が必要かは分かりませんが、お休みすること自体は理想の人生の邪魔はしないはずです。
長くなってしまいましたが、どうかこの言葉が届くことを祈っています。(*´︶`*)
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。