小学生の頃は良くも悪くも純粋で無邪気だった、何も知らなかった。人間関係とか勉強の大事さとかお金の必要さも何も知らなかった。だって教わったことなかったから。そもそもそんなことを教わっている暇はなかった。いつもピアノやバレエや習字など母親がやりたくてもできなかったことをできるようになるのに必死だった。4年生になるとなにもわからないまま受験するために部屋に押し込められ机に縛り付けられ親の監視下で勉強した。遊ぶ時間をまず失った。辛くて親に隠れてゲームをやったりもした。勉強だって嫌いでは無かったけどできないたびに叩かれたせいか嫌いになっていった。中学生になった。勉強という暴力からようやく解放されたと思った。でも関係なかった。小学生の時、母が何でもやってくれた時と違って自分のことを自分でやらなきゃいけなくなった。学校が遠い、親に勧められて入った部活も忙しい、勉強だって忙しい、だけど体力なんてない。授業でも部活でもよく寝ていた、電車も乗り過ごした、いつも疲れていた。だから段々と遅刻が増え、塾をすっぽかし、部屋を片付けられなくなった。そして躾が始まった。元から少なかった小遣いは"躾"でどんどんなくなっていった。ゴミを捨てられなかった私の代わりに母が1つ捨てるたびに100円、塾を遅刻したから1000円。買いたいものなんて買えなかった。そのうち食費を削ったり、親の財布からお金を抜き取ったりして欲しいものを買うようになった。もうしていいことと悪いことの区別もつかなかった。何をしてでも、自分の欲を少しでも満たしたかった。
何も成長しないまま高校生になってしまった。
毎日奴隷みたいな生活をするのが辛くて、保健室の先生や友達に相談したことをきっかけに自分の家庭が人とはなにかが違うと気づき始めた。ちょうどその頃に、お金を盗んで欲しいものを買ったことがバレて、SNSでの友人(不特定多数の人)と会おうとしていたこともバレて、初めてできた趣味のお絵描きも学力の低下を原因にやめさせられ、私の精神の僅かな栄養源が絶たれた。もう終わりだと思った。だから死のうと思ってカーテンフックにコードをかけ首を吊った。でも失敗した。本気さが足りなかったのだ。心のどこかで僅かに「母は私を愛しているからこんなにも躾ようとしてくるんだ。なら少しでも変な行動をすれば心配してくれるんじゃないか。」なんて思っていたから。でも予想とは違って、母は私が失敗したことを嘲笑った。私はショックで憎しみを覚えたが、一週間後にそのことを伝えると、覚えていないと一蹴された。もうなにもかもどうでも良くなった。私は愛されてなどいなくて、ただ母の欲を満たすために金をかけられていただけだった事実を思い知らされて心の底が冷えていった。そこからは早くて、ついに本気で死のうと思って腕に彫刻刀を突き立てた。結局それも父親にバレてボコボコにされた。「家族を傷つける奴は誰でも許さない」と言われたが、何も響かなかった。ただ、現在進行形で私を殴り傷つける父に怯えた。今まで私が苦しんでいてもなにも言ってこなかった癖にとすら思った。きっとここに書いたこと全て私が悪いのだろうけど、私も人間だから辛かったなんて感想が出てきてしまう。
私はこれからも自分を無能に育てた母となんにもできない馬鹿な自分を一生恨んで生きてしんど行くのだと思う。本当なら早く死ぬべきかもしれないけど、また失敗して嘲笑われる勇気はもうない。だから少しでも自分が早く死ねることを心から願うことしかできない自分をまた呪っている。
ななしさん
そんな家族に依存することない。過去も辛いことも皆貴方だけのものだ。あなたの苦しみもあなたの憎しみもあなたの叫びも、あなたの傷もみんなみんな、あなただけのものだ、あなたが貴方であるために生きることをもぎ取るために選んで生き抜いてきた証だ。
すごいことだよ。
家族であろうとあなたの憎しみも耐えてきたことの辛さも抱えることは出来ない。代わることも、痛みを想像することすら出来ない。あなたが受けてきた苦しみはこの先も誰にも代わって貰うことは出来ない。あなたが貴方のやり方で、ここまで来たんだと思う。あなただから出来たんだと思う。
いつか何度も何度も繰り返し繰り返し、何十年かかるか分からない胸の苦しさを抱えながら、他の人の家庭を羨んだりやりきれなさを抱えながら、あなたは生きていくのかもしれない。そんな貴方は、他に苦しい人を見た時、絶対に笑ったりしない人だと思う。
これからの人生も悪いと決まってるわけじゃない。明日起こることすら人は知らない。ずっと悪い時もあればずっといい時もあるかもしれない。
あなたが人生を感じ取って深く考え、生きてきた時点で、他の人とは全く違う生き方なのだから。