17歳、受験生です
他界したのは3年以上前のことだったのに、今年の1月くらいから、おじいちゃんに会いたくて会いたくてたまらなくなった。亡くなった当時も、人の前でも一人でも割と泣いて悲しんでいた方だと思っていたし、「泣くことがおじいちゃんを忘れていない証明だ」と思う余裕すらあったので、今更そこまで辛い気持ちになったのは自分でも少し理解し難かった。
きっかけは多分、毎年私の家でしていた誕生日パーティーにおじいちゃんが最後に来てくれた時のランチョンマットがゴミ袋に入っているのを見た時。
突然また辛くなり始めてから、何ヶ月もずっとその痛みを抱えてきた。毎日泣き疲れて夜は勉強をする気力も残らない日も多く、生まれてから初めて長期休み(春休み)課題を出さなかった。
楽しいという感情を持てる時もあった(それまで好きだったものに興味がなくなった代わりに、幸運なことに将棋の面白さを知り、将棋に触れることで泣きたくて堪らない気持ちを紛らわせていた。将棋が無かったら今自分が生きていられているかさえ分からない。)ので鬱病ではなかったと思うのだが。
心が不安定で、塾から家までの45分ほどの間ずっと母にばれないように泣いていたことも何回かあったし、夕食中に泣くのが我慢できなくなって「眠くなった」とベッドに行き泣いていたことも、授業中辛くなって周りの人に気づかれないように気をつけながら泣き、早く人目を憚らなくて良いところに行きたいと思いながら授業終了のチャイムが鳴るのを待っていたこともあった。今は幸いなことにその時ほど辛くはなくなった。受かることを悲嘆の感情への勝利としようと思って受けた英検準一級に落ちた時、落ちた悔しさで泣いていたらなぜか心が晴れてきて、気持ちが不安定になることが少なくなったのだ。皮肉なことだなあと思うが、新鮮なことで悲しむというのが良かったのかなと思っている。「辛い日々を死なずに乗り越えた」という自信も生まれたが、またそのような辛い日々が来ないという確証はないから不安だし、その時に脳がダメージを受けたのか精神的な問題なのかは分からないが覚えようと思った勉強の知識をなかなか覚えられなくなった気がする。
辛かった時期に「このまま一人で抱えていたら、私はどうにかなっちゃう」と思って「辛い」と勇気を振り絞って伝えた相手は、誠実で私が唯一心から信頼していると言っていい同級生の男の子だった(信頼している人といえど辛いという自分の気持ちを他の人に伝えるのは自分にとってとてもハードルの高い恥ずかしいことだったので、直接は無理でメッセージで伝えることしかできなかった。しかも純粋な友達と思っていたら伝えやすかったのだろうが、友達だ!と言い切りたくない人だし、なんとなくでも面倒くさい人だと思われてしまうのも嫌だったので、余裕のない頭で色々考えるとなかなか上手くは言えなかった。困惑させてしまっていたと思う。)
これを読んだ人は、「どうしてそんなに周りの人、家族にさえ泣いていることを隠そうとするのか」と思ったかもしれない。確かに、私が、「おじいちゃんに会いたくて辛いんだ」というありのままの気持ちを素直に両親に伝えることができる人であれば、こんなに尾を引く問題にはなっていなかったかもしれないのだ。でも、私は父にも母にも何も伝えることをしなかった。できなかった。それは、両親という絶対的で何も疑問を持たない対象だったはずものに対して欺瞞を感じてしまった経験が心に刻まれていたから。今まで懸命に自分の中だけに留めていた記憶を海に流したいと思う。
それまで、優しくて誠実で最高の人だと思っていた、私を愛していて隠し事なんて何もないだろうと思っていた父のスマホに来た見知らぬ女からの甘々メールを見てしまったこと(せめて通知ぐらい最初から切っとけよと思う)。その後リビングでぐっすりうたた寝をしているところで指紋認証でスマホを開けてLINEを見たら、気持ち悪い会話とスタンプで溢れていた。相手をブロックしてしまおうかなど色々考えもしたが、私のしたことが今までの幸せだったはずの3人家族が壊される要因になるかもしれないと考えたら、それはできなかった。
それでも、トーク画面をスクショしてメールで父のスマホから私のスマホに送った。もし裁判でも起こった時のために証拠を残しておこうと思ったのだ。送った履歴を消去できるか、試しに「あ」と送ってみて消してみることも、撮ったスクショをカメラロールから消すことも怠らなかった。今思えば14歳くらいの子供がよくそんなに手抜かりなくやるべきことをやったなと感心している。
母の場合は全くそんな深刻なことではないのだが、子供ながらに「あ、今嘘をつかれたな」ということは割と分かってしまうもので、小さなことでも記憶に残ってしまった。母が触っているスマホからひっきりなしに聞こえてくる効果音を、ゲーム音だろうことを予想していながら「なんの音?」と聞いたら「メールが来てる音だよ」と言われた。きっと私が中学受験の勉強をしている側で「ゲームをしている」と答えることへの罪悪感があったのだろう。ゲームをしていようが私は嫌だと思わないし構わないのだが、何よりも娘の私に対して、何でもないことでそんな嘘をついてやり過ごせると思ったこと、やり過ごそうと思ったことがただ悲しかった。また別の日にもそのような会話があって、耐えられなくなった私が「別にゲームしててもいいよ」と言ったら、母は押し黙ってしまった。その時の空気は、私は10年後も忘れないだろう。その他にも小さな嘘をつかれることはあり、
誤解を招かないように言っておくと、私は両親が嫌いなわけではない。酔っ払うと真っ赤な顔で「ほんとに綺麗になったねえ」と言い、ギューしてと手を広げてくるお母さんを嫌いなわけではない。私にとって大切な物を、指紋をつけないように持って渡したのを見て、同じように指紋をつけないようにして大事そうに持ってくれるお父さんを、嫌いなわけではない。感謝もたくさんしている。仕方なかったのだ。「ああ、人は、どんなに近い関係の人にでも、隠し事をしたり、心の中と表に出すことの区別をつけたり、するものなんだな」ということを、心の準備ができていないうちに知ってしまっただけなんだと思う。
あと一つ、私が大人になって子供が産まれたら、子供にとって必要なこと以外、子供に対して嘘はつきたくないし、自分の子供に対していつでも誠実でありたいと思う。
ただ自分が自分だけの中にしまっておくには負担が大きすぎるなと思ったことを自由に書いただけになったので、読むには読みにくい長い文章になってしまいました、ごめんなさい!
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項
まさかこんなに温かい言葉を送ってもらえるとは思っていませんでした。お返事を読んでからしばらく嬉し泣きしてました!
今まで、両親が知ったらどんなに悲しむだろう、愛をたくさん与えてくれているのにそういう気持ちを持ってしまう私は駄目な子供なんじゃないか、とか、あんな記憶がなければ孤独で辛くなることもなかったかもしれないのに、もっと純粋で素直な女の子になれていたかもしれない、とマイナスなことを考えるばかりでした。
だから、「そのぶん成長している」という言葉で、自分の心まで根っこから肯定してもらえたような気持ちになりました。
自分の文章を丁寧に読み、読むことができてよかったと言っていただけたのがとても嬉しいです。ずっとのしかかっていた心の重りが少し軽くなった気がします。大事な思い出がひとつ増えました。自分の思いを頑張って綴ってよかったです。ありがとうございました。
こんにちは
想像になりますがきっと、とてもつらくて苦しかったでしょう
読んでいる私も、そのときのあなたの気持ちを想像すると悲しくなってきました。
それをしまい込まずにここに出すことは、とても必要な、そしていいことです。
でも、他の人よりも早くそういうことを知ったあなたは、そのぶん成長していると思います。
私もあなた様のように、子供が産まれてきたら必要なこと以外は嘘をつかずに、子供が心から安心してなんでも話せるような空気のあるお家にしたいなと思いました。
ずっと私のことを長々と書いて失礼致しました。でも、たくさんの小瓶の中からこの小瓶にめぐりあえて、読むことができて本当に良かったです。
あなたが心から幸せになりますように
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項