つい昨日まで死ぬことしか考えられませんでした。
部屋にはまだ首吊りをしようとした縄が残ってます。
手首を切ろうとしたカミソリやハサミも残ったままです。
私はつい昨日まで友達の嫌がらせでストレスが半端なかったけど、
昨日までのことが嘘のように今はスッキリしています。
それは女手ひとつでずっと私を育ててくれたお母さんのおかげです。
あまりに一人で抱えきれない悩みに私は勇気を振り絞って相談しました。
話す前に嫌がらせを思い出してしまい、トイレで吐いてしまいました。
今自分の腕を見ると赤いすじが残っています。
トイレで泣きながらがりっがりに引っ掻いたあとです。
お母さんはこうなる前に早く相談すればよかったのに。と
私の悩みを聞いてくれました。
話を聞いてもらえただけで、こんなにスッキリするんだなと思いました。
もし昨日死んでいたら。
と考えると死ななくてよかったなと思います。
嫌がらせが終わったわけではありませんが
これからはどうすれば仲良くできるのか。
とかいろんなことを考えられるようになりました。
昨日の私はもうどこにもいません。
昨日の私は死にました。
でも今日新しい自分が生まれた気がします。
これからは新しい自分と共に頑張って
生きようと思います。
皆さんも新しい自分と出会えるよう
願っています。
一人で悩んだり、苦しまないで下さい。
死ぬことを考えるのはやめて
新しい自分と出会えるように
努力してみてください。
ななしさん
私は,自分以外の人に自分の気持ちを吐き出せても、
理解してもらうことが出来ても、
結局最後は,自分の問題は自分で動くことでしか解決はない,ことの方が多いと思っています。
だけど,その過程において、生身の他人に(自分以外の人)
理解してもらえるというのが、あるとないとでは、
結果、自分の中で、冷静に自分の状況を整理出来ることも含め
精神的に、まるっきり大きな違いがあると思います。
だから、読んでいて、私は、わかる部分が多いです。
よかったなぁと、本当に感じます。
だけど、宛メも含め、生きづらい人の多くは、
勇気を出して本音をぶつけてみても、
相手が、向き合ってくれない、聞いてすらくれない(構ってチャンではなく)
ゆえに苦しいという人が多い印象があります。
だから、そういう人に会えた(家族も含め)こと自体
本当は当たり前ではなく,ミラクルなのかもな?とも感じます。
(私も,母との関係の芯の部分で、意思の疎通が悪かったのですが、
死ぬほどぶつけ合って、現在があるクチです)
まいたん