わたしに似て感情だだ漏れで、うれしいことがあると体を揺らしてしまう子も。
誰に似たのか感情が表に出にくくて、かおをじっと覗き込まないといけない子も。
生意気なことばかり言っていつも人を煽ってばかりな子も。
しっかり者でわたしの相談を友達か大人みたいに聞いて考えてくれる子も。
とにかくかわいい。
大変なことも、しんどいこともある。
でもいつもその存在に支えられてるし、
できるものならわたしも力になりたいし、守ってあげたい。
あなたたちの心を護らないといけない時にはがんばって守ろうとしてるつもり。
非力ではあるけど。
おもしろいところや心配なところがあるけど、すてきに育ってくれてありがとう。
そばにいさせてくれてありがとう。
この小瓶にはお返事ができません
この小瓶をなんだか勘違いして受け取ってる人がいるんだよね。
まあ、いろいろわからずにでたらめばかり言う人みたいだけど。
でもこの小瓶のところの勘違いはちょっとおもしろかったんだよね。
それはまったく狙ってなかったけど、まあ、書いたものって人が読んだ途端にその人のものにもなるって思ってたりするからそうとる人がいるのは別にいいよね。
ただかってにいろいろ勘違いして悪意を溜めて人に攻撃するのは別だけど。
読んだ途端に人のものにもなるって、作品とか、こういう小瓶の場合で、悩みの小瓶は違うよ?悩みの時はなるべく勘違いせず受け取ろうとしないとね。
最初はここの子たちのこと言ってると思われたのかと思ったけど、現実でって思ってるってことなんかな。
それはそれはわたしとてもアクティブな設定。どんな仕事をしてる設定なんだろー?
いいなー。ちょっとうらやましい。そのわたし。
わたしのことわかってる人なんかはふつうにわかると思うけど、これは自分の子の事書いてるのね。
ただ、こういうこと書く時、みんなの親御さんもこんなふうにあなたのことを思ってるのかもよ。ってのはじつは思いながら書いてたりする。
それが行間に出てて違うかたちで受け取られるのに影響したかもねー。
えっと、わたしが子どものお膝をピシャリとやるという事をご不快に思われた方がいらっしゃるようなのでもう少しご説明します。
何かしらあってお説教モード突入。
「はい、こっち。」
正座で向かいの床をタンタンとする。
「やだ。」
「だめ。」
またタンタンと床を叩く。
しょうがなくだらだらとこちらにくる子。
正座のわたしの前に涅槃像のように寝転ぶ。
「すわる!」
というとのろのろと起き上がる。
立膝で。
そこでその膝をピシャリ!って感じですね。
まあ、はい、叩いちゃってるんで、なんの言い訳にもならないと言われたらそうなのでしょうが、わたしにはこの子に対する責任というものもあるのですよ。わからないでしょうが。
どうでもよい子に対して神経すり減らして怒りませんよ。気分悪くするようなことたくさんされるのに。
うちの子はね、そうやってなんだかんだ言いつつ、そうやってやってきたり、座ったり、一瞬座り直したり、まだかわいいなー。って思ってるんですよ。
でもね、その調子をよそでやるようだと苦労するのはその子自身なのですよ。
そこを口だけでなんとかできないわたしは力量不足です。
でも口ではいつもいろいろさんざん言ってるんですよ。それでも言いますけどね。
かわいいので。
先を案じているので。
まあ、わかろうとしない、わかりたくない人にはなにを言ってもむだだと思います。
アユムさんへ
わたしもそういうのはわかんない。
それはうちらが幸せということであるのか。
それさえもわからん。
そういうのは通報する事で早めに親子引き離されるのが結局両方にとって一番いいってことになるのかなー。
やっぱり人によって向いてる事とかあるから子育てが向かない人もいるんじゃないかな。
そうした時になんとかとりもってくれる仕組みがあるといいのかな?
わたしも決して向いてる方ではないけどね。
いや、それぐらいはいいのよ。
(いいのか?)
要はニュースで流れるような
命を奪うようなものだったり
自分優先で子育て放棄するものだったりね。
そりゃ息抜きは必要だけど
ほぼ放ったらかしはアカンでしょ。
ネグレストってヤツだね。
熱湯をかけるとかベランダに放置とかで
死なせてしまうとか
そんなにしてしまう前に
どうにかできなかったのかな?
もうちょっと頑張れたと思うんだけどな〜
せめて、死なせてしまったことを
悲しんでいてくれてたらいいんだけど……
その親達とわたしは別物ではないですよ。
地続きです。
今でもお説教の時に向かいに座らせてる子のお膝をピシャリ、とかやってしまいますし、
そういう親御さんの気持ち、わかります。
あんまりとんでもないのはわかりませんが。
忙しいとは心をなくすと書くけど、
子どもが小さいとお世話が大変で忙しくて疲れていたり、睡眠不足になったり、判断能力をなくすし、それがすべて子どもが発端になってることを思うと、わざとやっている、自分にいじわるをしてる。と赤ちゃん相手に思ったり。
泣くばかりの赤ちゃんも大きくなるほどきちんとお話ができるようになってだんだん話せばすむようになっていくけど、それも幼ければ幼いほどきちんとお話できないし、やらかしも多いし、イライラするのもわかります。
子どもが大きくなっても時間や体力や気持ちに余裕の持てる状況でないとこんなふうに思うのはむずかしいこともあるかもしれない。
忙しくても愛情深くできる人もいるのだろうけどそれはわたしからしたらとてもりっぱな人。わたしはそっちではないと思う。
環境、状況は大事で、側に支えてくれる人がいるのか、責め立てる人がいるのかでも子どもに向かう感情は変わってくると思う。
愛情を傾ける事だけに専念できる環境であれば、多くの親はそんなことはしなくてすむのだと思う。
ただ、そんな環境はなかなか作れないし、それも含めて子どもを生んだんだから。と言われてしまうからね。
一つ、はっきりわかるのは、自分でよくないってわかってる親を責めてもなんにもならないだろう。ってこと。
その人の気持ちや状況が楽になれば自然とそんなことはせずにすむようになると思うんだよね。そのために周りはなにができるか。本人もなにができるか。考えるのがいいと思うんだけどね。それもまたむずかしいんだよね。