「自分より辛い人はたくさんいる。だから自分は辛いなんて言っちゃいけない。」……そう思ってませんか。
この小瓶はそういう方向けの、ぼくなりの捉え方をもとにお話しします。
拙い文章が長々と続きますがどうか最後まで読んでみてください。
人の心には『入れ物』が存在する気がします。
それは木のコップだったり、タライだったりと人それぞれ。
同じ人なんていません。声と同じです。
『入れ物』の大きさ深さは全く違います。
また、辛い事象や現象には『液体化した痛み』があると捉えます。
それはアルカリ性でも酸性でもない、けれど流れてくるものです。
そして量が決まっています。
例えば「いじめ」なら「〇〇」、「虐待」なら「××」(それぞれ1つの数字が入ります)という風に決められているんです。
それが『入れ物』に溜まると人は辛いと感じる……んだと思ってます。勝手に()
ぼくはここに来て日が浅いですが様々な小瓶を目にしました。
みんな『入れ物』を壊してしまっていると感じます。
それくらい、じっと耐えて耐えて我慢して、
壊しちゃったんだろうなぁ、と。
壊してもいいと思います。実際ぼくはかけらも残ってません。
ぼくの話は置いておくとして……
最初のセリフを覚えていますか?
「自分より辛い人はたくさんいる。だから自分は辛いなんて言っちゃいけない。」
これは、ぼくは間違っていると思います。
辛いって言っていいんです。
『入れ物』が小さかったのか、『液体化した痛み』が多すぎたのか、
どちらにせよあなたは辛いと叫んでいいんです。
泣いていいんです。泣けなくてもいいんです。
綺麗事なんかじゃない。
ぼくからあなたへ、仮面の下、凍った心の中、そのどこかにぼくの言葉が届いていますように。
読んでくれてありがとうございました。