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【哲学の話】トロッコ問題の最適解。

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まあ、有名な思考実験だよね、トロッコ問題。
よく僕の周囲でも盛り上がるよ。
え、そんな事無い?
嘘だぁ、考えているだけで半日潰せちゃうくらい、奥が深いのに。


トロッコ問題
貴方はトロッコの運転手さんです。
貴方が乗るトロッコは、ブレーキがぶっ壊れたまま走っています。
少し進んだ先には分かれ道があり、右の道には1人の作業員が、左の道には5人の作業員がいます。
そのまま進めばトロッコは左の道に進み、5人の作業員が犠牲になってしまいます。
ですが、貴方は線路を切り替えるスイッチを持っており、それを押せば右の道に切り替えることが出来ます。その場合は一人の作業員が犠牲になります。
さて、貴方はどうする?


ざっとこんなところか。
この思考実験は、幸福論の議論によく使われるんだ。
幸福論の概要を説明すると、「どの様に行動すれば、幸せになれるのか」という問いに対してあれこれ議論する事だね。
でももっと奥深くて複雑だから、一言で簡単に説明となると、難しいな。

幸福論では、「何が幸福か」という事から「幸福のための行動として何が相応しいか」という事まで、様々な議論がある。今回は後者の場合だね。
前置きは長いけど、この部分は幸福論を考える上で省いちゃ良くないと思うんだ。


☆功利主義
まず、5人を助けるために一人を犠牲にする考え方。これは功利主義に近い考え方と言えるね。
功利主義とは、「最大多数の最大幸福」という言葉があるように、その集団にいる人の幸せポイントの合計が最大になる行動をするべきだという考え。
例えば、行動Xをすると、Aさんの幸せポイントが20、Bさんは30上がるとする。
行動Yをすると、Aさんは30、Bさんは10上がる。
行動Xの幸せポイントの総量は20+30で50、行動Yは40。だから、行動Xの方が皆の幸せに繋がるよって理論。
この計算を功利計算という。

一見良さそうに見えるけど、これには大きな危険性が含まれているんだ。
例えば、行動Zをすると、Aさんの幸せポイントが120上がる、ただしBさんはマイナス20ポイント下がる。幸せの総量は100で、功利主義的に考えると行動Zが正しい事になる。
けど、常識に照らし合わせて考えたら、ちょっとオカシイよね。だってBさんが可哀想じゃん。

功利主義の問題点は、少数の犠牲であったり、明らかに不幸せな人がいたりしても、全体的に良ければ全部OKにしてしまったりする事。
もっと分かりやすく言えば、「ルルーって人は別に悪いことをしている訳じゃないけど、居るだけで皆の気分が下がる。よし、ルルーちゃんを殺しちゃおう」ってのが許される。ルルーとかいう人の死が皆の幸福に繋がるのなら、殺す正当性が無くても殺してOKってのが、功利主義の負の一面だね。これがルルーちゃん一人の話なら「まあ、一人くらいは……」てなりそうだけど、世界規模で見てみたら、「少数の特定の民族、宗教の事を皆が嫌っていたら、極端な話虐殺してOK」って事になる。

っていうのを踏まえた修正版功利主義である「規則功利主義」というのがあるんだけど、長くなるから省こう。もし気になるなら是非調べてみて、凄く面白いから。解説が必要なら言ってね。ここまで読んでる人居なさそうだけど。


☆義務論
5人を犠牲にして1人を助けた人は、こちらの考え方に近いね。
そもそもスイッチを押さなければ、こっちの人は助かったわけだ。例え5人の人命がかかっているとは言え、関係ない一人を犠牲にしても良いのか? という考え方だね。

ざざっと説明すると、義務論はルールや権利を厳格に守るという考え方。
さっきのルルーちゃん殺人事件の例で例えると、「例えルルーがどんなに嫌われ者で、いない方が皆の幸せに繋がるとしても、ルルーの人権に鑑みて殺すのはマズいっしょ」て感じ。

これの問題点は、例えルールや権利を守っていたとしても、それが幸福に直結するわけじゃ無いこと。

例えば、駅のホームから線路に子どもが落ちたとき、助けるために線路に入るのは「線路に入っちゃいけない」というルールに反するから駄目になる。けど、ルールを守って線路に入らなかったら、線路に落ちた子どもは助からない。こんな感じ。
じゃあ、例外を作れば良いじゃんって?
線路に人が落ちたときは助けるために線路に入って良いというルールが出来ればその問題はクリアするかもね。だけど、事細かに例外を作る(=元のルールを守らなくて良い状況を許す)事が多発したら、それってルールを守っているって本当に言えるのか。多分、守れてないよね。
要するに、義務論は頭でっかちで幸せには直結しないんだ。


以上を踏まえて、どちらを選ぶか。
僕は義務論側の考え方だから、一人を助ける。
けど、5人を助ける方も間違っている訳じゃない。
こういうどちらを選んでも正当性があり、そして後味の悪い状況を「道徳的ジレンマ」って言うんだ。


さて、やっぱり僕は意見を変えようと思う。
僕はどちらも選ばない。
スイッチをなんかこう、連打するとかしてトロッコを脱線させて、両方助けるよ。

そんなのアリかよって思う?
だって、「どうする?」とは訊いたけど、「どっちを選ぶ?」とは訊いていないし。

この手の問題で多いのは、さも二者択一のように問題が作られているけど、実際は第三、第四の選択肢があるかもしれないこと。

トロッコ運転手の目的は「どちらを犠牲にするかを選ぶ」事じゃない、「最善の行動をとる」事。

型破りだろうが、最善に可能な限り近づけるのなら、考える努力を諦めてはいけない。これが僕の哲学の先生の教え。


ここまで読み切った酔狂な人がどれくらいいるのかは分からないけど……。


で、結局のところ、貴方はどうする?
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砂月
トロッコ問題って、幸福論を論ずるものだったんですね。

知りませんでした。

先にルルーさんの文章を読んでしまったから、トロッコ自体をどうにかして両方とも助けるっていう選択肢を取りたくなってしまうねw
僕も出来ればそうしたいと思います。僕は車輪をどうにかして破壊しようとするかな。

なんか、トロッコをどうにかするって答える人も多くて、いい人が多くて良かったとも思う。

でももし、トロッコにも運転手の自分以外に人が3人とか乗っていたら、トロッコを脱線させたら同乗者が死ぬってなったら、みんなはどう答えるんだろうか。
とか、ちょっと考えてしまうけど。

みんなが、その時の最善をどんな風に考えるかを知りたくなってしまう。


最初の2択で考えるとして。
うーん。僕はそもそも、何もしなければルート的に5人の人は死ぬ運命だった、という考えには至らないかも。線路の切り替えのスイッチを自分が押すか押さないかで運命が変わるとなったのだから、結局は1人の死か、5人の死かを選ぶ立場になっていると考えてしまう。

何もしない、スイッチを押さない、を選択しても、5人の死に自分に責任が無いとは考えられない。スイッチを押さない事で、僕が5人の死を選んだんだと、どうしても考えてしまう。

そして、残された5人の遺族もそう思うだろう。なぜスイッチを押せば助けられたのに、1人ではなく5人の方を犠牲にしたのか?と。遺族は運命だとかで納得は出来ないと思う。なんて事も考えたり。

誰かの犠牲を強いないといけない状況なら、僕は失っても罪悪感の少ない方を選ぶと思う。自分が耐えられないから。
誰かを殺したって罪悪感は重すぎるから。

自分にとって同じ価値の人なら、殺した人数分だけ罪悪感が募ると思うから、少ない人数を選ぶ。でももしその1人が物凄く大事な人なら、5人を殺す方を選ぶ可能性が高いかな。

だけど、功利主義って考え方は、ちょっと不思議だなって思う。
幸せを数値化しているけど、幸せの数値化って、そもそも出来るのかな?
幸せの感じ方はそもそも人によって違うし、計算方法がおかしい気がする。

例えば嫌いな人を排除したら誰かが幸せになるポイントが120増えても、排除された側は幸せポイントがマイナス50万とかになるんじゃないのかな。イジメとかだとそういう感じじゃないのかな。

そもそもの幸せの総量がバランス取れればいいって考えは変じゃないのかな。なぜAさんが120ポイント幸せになって、Bさんがマイナス20ポイント辛い思いをして、総量100でいいって、どういう事?総量って何の事なんだ??幸せって量が決まってて、他人と取り合わないといけないって事なのか??

そもそも幸せポイントをつけるのは正しいのかな?不幸をポイントとして数える方法もあるんじゃないのかな?誰かが突出して不幸になりすぎないように、不幸ポイントをつけるって方法は?

…とかいう、ゆるい感想です。
相変わらず長くなってすみません。
もっと語りたいけどすでに長すぎるのでやめておきますw
名前のない小瓶
奥が深い…。そして楽しい…。
ボクも少し、考えてみました。

全員が助かる方法があるならみんなはそれを選ぶんだろうなぁと思います。じゃあ作りましょう。

①ハンドルを振り切らない
えっとこれはつまりy字に別れているところの
真ん中にトロッコだけを突っ込むってことです。
あわよくばそのままトロッコを止められるかもなあと。
ただ、なんとなく真ん中というのは
故障でもさせない限り無理かなと。(感覚)

②一人のほうへ突っ込む。
はたから見たら人殺しですけど避けられます。流石に。
トロッコの音や周囲の騒ぎ声、などなど気づくでしょう。
というか主人公が声を出して伝えることはできないのか…?

頭の悪いボクはその考えに至るんですよね…。
ひな
ねこ、 .
なんだか、話し始めると
ものすごーーーく長く
なりそうなので、短めに。

私なら、そのまま走り続けます。
何もしません。
まぁこの選択には色々ありますよね、
理由が。
私の場合は、
トロッコに乗せられ、
その先に5人の人間がいる。
そのまま走り続ければ
5人が死ぬ、という運命のまま、
変えることはありません。
その運命のルートに載せられたまま
流されるでしょう。
人の命に、大小はつけられない
からです。少なくとも私に、
人の命に優劣、優先度を
つけられる権利はないと思っています。
なので、二択と言われれば、
そのまま何もしない、を取りますかね。
名前のない小瓶
こんにちは。こういう考える系、頭を使う系のお題は大好きで、ついつい覗いてしまいました。やっとトロッコ問題を話せる投稿が来たかと嬉しくなりました。


全員無傷で救う方法はきちんとあり、「ポイントを中立にする(切り替えきらない)」というものです。割と有名な話で実験した動画もネットにあります。力が加わらず構造上、停止せざるを得ないのだとか。鉄道に興味のある人からすれば余裕で不可避の2択ではなかったのです。


さらに言えばこの問題は、トロッコの運動エネルギーを減らすという方針さえ外さなければ、多分どんな方法を使ってもOKです。トロッコを減速さえできれば、轢かれれたとて命は助かります。1人の方に誘導したとして、5名無傷・1名骨折で犠牲者0。全員救えたことには変わりはありません。

この辺は物理が得意な友達に聞くと、もっと面白い停める方法を回答してくれると思います。


ちなみに一点だけ補足すると、運転手はカーブの操作はできず、ポイント地点のレールを切り替える人がどっちにカーブさせるかを判断します。自動車とはちょっと仕組みが違うのですね。だから、近くに停めてた車でトロッコを追っかけて解決するという方法もアリなのです。


この問題の起こりですが、一説によると難産の際に母体をとるか胎児をとるかという選択の問題をアレンジしたものではないかといわれています。これであれば確かに不可避の2択なので悩まざるを得ない。それに比べるとトロッコ問題は少し置き換えが甘いなと思います。


それは理解した上であえてトロッコ問題で2択に乗るならば。人数以外の他の全ての要素が同一という条件下であれば、僕は5人の方を救い、1人の方へトロッコを誘導します。


理由は1人の方が避難しやすいからです。人数少ない方が意思決定の時間が短く初動が早くなります。邪魔になる余計な人数もいないので移動できる範囲も大きくなります。


また、そもそも問題に穴があるので「どちらかは助からない」という前提を信頼していません。だから対象者が最大限、逃走時間を確保できる選択肢を選びます。


なので障害を持つ人1人と健康な成人5人であれば、障害の程度によっては5人の方にトロッコを誘導することもありえます。一直線の道とカーブが多い道なら、カーブの多い方の道へトロッコを誘導します。こんなところですかね。


この辺は数学が得意なお友達に場合分けや確率の観点から考えてもらうともっと面白い回答をしてくれると思います。


ところで哲学でトロッコ問題を考える場合、僕は1つ疑問に思うことがあります。塩狩峠のように、レバーを切り替える自分が身を挺することで、6人全員を救おうとする自己犠牲の考え方もあっても良いはずです。なのになぜ誰も言及しないのでしょうね。


純粋に5人は轢かれるトロッコだから、人が1人轢かれようが2人轢かれようが減速しないから意味ないでしょ、ということなのでしょうか。妙なドライさと寂しさを感じるなという余談でした。

名前の有った小瓶
私ならケースバイケースです。

突発的で思考が追い付かない状態なら無意識に犠牲を少なくする方を選ぶと思います。

熟考する時間があるなら
『自分にとってより大事な方を生かす』

自分の大事な人1人と、顔も知らないどうでもいい5人なら前者のが大事。

登場人物の命が全員等価とは書いてないし、等価なこともありえない。

だからその時になってみないと分からないです。

ななしさん

というか、トロッコに大量の人が乗ってたら、貴方はどうする?

脱線したら投げ飛ばされてみんな死んじゃうかも。

ななしさん

私はスイッチを押さないかな。
そのまま5人をひけばトロッコの故障による偶発的な事故(殺人)だけど、スイッチを押したことにより1人をひくことになったら、それは意図的な殺人になって、罪悪感が増す気がする。

ただ、これがブレーキの壊れた車の運転だとして、A そのまま突っ込んだら園児のお散歩の列に突っ込む、 Bハンドルを切ったら高齢者1人をはねることになる、という条件だと、ハンドルを切ると思う。


私は自分の基準で、罪悪感の少ない方を選びます。

これは何主義というのでしょうか?

ななしさん

哲学とか倫理的なものが分かりやすくなってて面白い小瓶だー。哲学思想はどれも通ずるところがあるかもしれないけどベンサムとかミル辺りは特に正しさを目標としてるのに一概に正義っぽくなくて深慮が捗るよね。

提示されている二択から選ぶなら、誰か人が見ていれば切り替えないけど見ていなかったら切り替えるかなぁ。
この人は数だけを見るんだなって目撃者さんに思われたくないので……。切り替えなければただの暴走による不運な事故として見てもらえる可能性がなんとなく上がりそうだし。

三択目を作って良いならスイッチを真ん中にして脱線を祈る。少しでもどちらかに傾いてたらそっちに行きそうだから最終的には運に委ねることになると思うけど。
千歳飴@雨
スイッチをなんかこう連打…のところで、twitterかどこかで見た動画を思い出しました。
確か前輪が1人のほうの線路に乗った瞬間、切り替えて後輪を5人のほうの線路に乗せて、電車を横向きにして停止させる?みたいなやつだったかな。
連打でもタイミングゲーでも何でも、可能ならどちらも助ける第三の選択肢を選びたい。それでもいいんですかね。
それなら私は技術者志望なので、緊急停止のシステムでも作ろうかな。…流石にブレーキがきかないって前提から変えるのは反則?

ななしさん


読了目安 約7分

タイム測りながら読んで見ました。まるで司法試験の問題みたいですね。酔狂な人はチェックしている人もそうでしょうね。

功利主義と義務論。初めて聞きます。トロッコ問題の小瓶は何度か読んでますが、また更に詳しく書いてくれたんですね。

スイッチを真ん中にするや爆破して脱線させるなどの答えですが、ここは更に視点を変えて回答します。

そもそもブレーキが壊れてるのにもかかわらず走りだす。これは点検をしておけば、こんな事にはならなかった。

幸せにはまず、準備が必要だということでしょうかね。

転ばぬ先の杖ですね。
名前のない小瓶
時計うさぎ🐰

…たとえ型破りだとしても、みんなが助かる道があるなら、そっちを選べたら『最善』なのかなぁ?

私も、そっちの方が、なんとなくしっくりくるかもしれない
ルールは大事だけど、あまりにこだわっちゃうと、大事なものを見失っちゃうって、ことなのかなぁ……🐇

Lerouxさんの小瓶にお手紙を書くのは、はじめてです
前に、『お返事書くのがむずかしい』っていう小瓶を読んで、いろいろ参考になるなぁって思いました
私は自分の悩みの小瓶を流すのも、お返事を書くのも怖いです
それで悩んで、考えすぎて、変になることがたまにあります

だけど、『聞いてほしい』『話がしたい』『役に立ちたい』って気持ちさえあれば、書きたいように書いてもいいのかなって、最近は思えるようになりました✏️
この小瓶にお返事をする
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います。
※宛メは受け止めてあげる場所です。否定や批判のお返事はしないでください。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。

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