「“普通”そんなこと気にする?」とか
「“普通”こうするでしょ?」とかそう考える人が、
「“普通”ここは気にするとこだよ?」とか
「“普通”そうはしないよ?」とかそう考える人たちの世界に行ったら“異端”になる“異常”。
気遣いのできるものが多い中で、気遣いのできない私は嫌われるし。
気の置けない仲でいてほしい相手には好かれるのかもしれなかった。
これ創作物。ぼくが実際気遣いできないとかなんとかって、わからんし。
アメリカに行って合う日本人もいれば、合わない日本人もいるんだろう。
多数がいる学校に行くのが合う者もいれば、少数の塾に通うほうが合う者もいるのだろう。
あえて、合わない環境が過ごしやすい、上手くいく場合もあるかもね。
息がしづらいところのほうが人気者になれるとか。
好きなことと、得意なことは違うって。
考えれば考えるほど生きるの難しいけど、自分が生きることはそんなに考えてないから、いつもなんとかなってる。
みんなは、自分がどう生きるかとかどう死ぬかとか考えてんのかなあ……
考えなくちゃいけない環境で生きてるのかなあ……
ぼくもそうなのかなあ?よくわかんないや。
気付いたら数十年ずっと死にたいまま、それでも生きてきたし、今も息をしているから、どうでもいいよねって感じ。
小さい頃から死ぬことは普通だと思ってるもん。
学校行けてなかったし、働ける気もしてなかったし、今働いてないし。
それで生きているぼくがものすごく運が良くて異常なんだ、って。
おかしいから、息苦しい。
死ぬはずだし、死んでいるはずだもん。
だからね、「もう死んでる」って思えば楽だよ。
「生きてない」って思ったら楽だよ。
何もしない状態が、わたしの“あたりまえ”だから。
そういや最近『現状維持バイアス』って言葉を知ったよ。
そういう言葉ができるくらいには、ぼくたちは変化を恐れる生き物なのだろう。同時に、チャレンジもできるという証明かもしれない。
これくらい喋ったら概ね満足です。
ではまた。
お疲れ様でした