34歳無職男です。社会不適合すぎてもう生きるの嫌です。10代からずっと死にたい気持ちが消えません。早く楽になりたい……。
発達障害グレーゾーンと重めの社交不安障害が原因で、中学、高校時代からずっと内向的で、自分の世界に閉じこもる性格で、劣等感の塊でした。本当に失敗ばかりの人生を送ってきました。
子供の頃は、作曲者になりたいという夢があり、大学も音楽の学校に入って学んだりしました。でも学校に入ると周囲と比べられるようになり、自分の頭の悪さや、才能の無さとに愕然とし、また鬱と社交不安が最悪な時期だったために人間関係でも大失敗をしてしまい、結局はいじめられた挙句に中退せざるを得ないところまで追い詰められてしまいました。大学を辞めてから人生のすべてに絶望し、引きこもりになりました。
それから一年間はどん底だったものの、両親の支えもあって何とか持ち直して、自分からコンビニのアルバイトに応募。しかしもともと発達傾向があるために物覚えが悪く、認知も独特なので報連相がうまくできずに上司からつらくあたられ、退職。その次も半年で退職。3つ目でやっと少し自分に向いていそうな工場のバイトにありつき、ややグレーな職場ではあったものの人は良く、そこは5年間続けられました。このまま稼ぎを増やして自立できるかなと思っていた矢先、長年無理な姿勢での労働を強いられ続けたことと、自身の加齢の結果、首を痛め、そこも退職せざるを得なくなってしまいました。
それから一年間、ずっと仕事の応募ができずにいます(勇気を出して一件応募したこともありましたが不採用でした)。
もとより履歴書に書けることがありません。正社員の経験もありません。資格も何もない。一番ネックなのは、電話恐怖があまりに酷いこと。だから応募すること自体がまずとても大きなハードルです。過去に圧迫面接を受けた際のトラウマのフラッシュバックも酷く、面接のことを考えるととてもじゃないですが応募できません。また不採用通知を受けた際のショックも、恐らくは普通の人の倍以上に強いため傷つきやすく、求人に応募するとなるとどうしても精神的に耐えきれず、勇気が出ません。前に進めない。そのことがつらいです。情けないです。
もちろん、できることならお金を稼ぎたい。親の元を離れて自立したい。自分の力を発揮して活躍したいし、周りのみんなみたいに自由に楽しく生きてみたい……。でも、それは、自分のような人間には一生叶わない夢なのかなとも思います。
いまはアルバイトでさえ、すぐに応募集中して不採用になってしまう時代です。しかも、電話や面接はどの仕事の応募でも必須事項です(これだけ多様性が叫ばれているというのに)。それが必要ないという類の仕事になると、現状ではほぼ過酷そうな肉体労働しかありません。そういう仕事に就いたとしても、恐らく自分は長く続けられません。きっとまた体を壊して、辞めなければならなくなってしまうでしょう。それでは同じことの繰り返しです。
もう何もわかりません。どうしたらいいのかわかりません。何をやってもダメに思えるし、傷つけられたら今度こそ立ち直れなくなります。これほどまで救いようのない社会不適合者が、世の中で希望を持って生きていける方法なんてあるのでしょうか。
何もかも自分にとってハードルが高すぎます……。自分の人生って何なのだろう。世の中に価値あるものを何も生み出せていない。誰の役にも立てていない。親の脛を齧って生きながらえているだけ。友達もほとんどいない。こんな情けない自分を、自分でも認めたくないし、人にも見られたくない。知られたくない……。
何もかも、不器用すぎて、無能すぎて、勇気がなさすぎて。自分らしい人生を少しも歩めない。働かないとこの世界では生きていけないのに、働くためにまず必要な儀式(応募や面接など)というものに、自分はまったく適合できない。どうして自分だけがこんなにダメなのか。何がそんなに周りと違ったのか。我慢して我慢して、今日まで嫌な思いをしながら生きてきたけど(でもそれだって、こんな自分を支えてくれるような優しい人がいてくれたからなのに……自分は恩知らずです)、やっぱり自分は、本質的に、この世に適応できないのだろうな……と思うのです。
大学時代、すべてが嫌になって、もういよいよ死にたくなって橋から飛び降りようとしました。でも警察に通報されて、保護されて、体育会系のおまわりさんに一方的に説教されて、親にも心配をかけてしまって……こんなことはしちゃいけない、自分は頑張らなきゃ、と思って、それからずっと頑張ってきたのに。それでも、これだけ経っても、未だにこんな情けない人生のままです。何も生み出せてない。誰の役にも立ててない。自立もできない。自分の人生も自分で決められない。周りの同年代と比べたら、本当に生きてる価値なんてないです。最低のクズ人間です。
なのに、こんな生産性のない人間なのに、社会に向いてない人間なのに、雀の涙ほどの納税のためだけに奴隷のように生かされ、働かないと社会的な死が待っているぞと、脅され続けなければならないのはなぜなのでしょう。生まれて来ることや、生きていることは、日本ではそれだけで「罪=罰金」の対象だから……。
これまで幾度となく劣等感を味わい続け、もう十分すぎるくらい苦しんできたはずだったのに。これからも一生、同じように、いやそれ以上に辛い思いをし続けなければならないのでしょうか。そんな未来しか待ってないとわかってるなら、死んでしまいたいと思うことの何がいけないのだろう。
自分で死を選ぶことって、そんなに悪いことなの。それによってしか、幸福になれない、自由になれない人というのも、自分を含めて社会に常に一定人数以上いるのではないかなと想像してしまう時がある。だって、人間社会にはどうしても格差が生じてしまうものだから……。劣等感の中で苦しむしかない人は、じゃあ、どうしたら幸せになれるというのか。
いろんな人がいて、多様性を認めるべきだという時代なら、どうして社会に適応できず、ただ虐げられながら生きるしかない人間の人権を認めてくれないのだろう。そういう私が命を絶って、他の人のために席を譲ることをなぜ許してくれないのだろう。
競争、競争、競争……そればかりの世の中にはもう疲れました。椅子取りゲームのようなことを延々と続けている馬鹿げた社会。こんなところで生きるのはもう無理です……。それもこれも、不適合者として生まれてきてしまったから。もう死ぬ以外にどんな解決法があるというのだろう。
でも……現状、個人の精神的な理由だけで安楽死をさせてくれるような「ソイレントグリーン」のような便利な施設もない。
いざ自分で死のうと言っても、持ち物の処分や身辺整理、遺書を用意しなければならないし、周囲の人の安全を確保し、なるべく迷惑をかけず、かつ確実に遂行するための周到な準備も……。気力がないとできないような面倒がたくさんある。
それに何より、もし万が一中途半端に失敗して両親や近しい人たちに一生迷惑をかけ続けることになったら……それだけは絶対に嫌だ!確実に死ねなきゃダメなんだ。死ぬことすらもハードルはある。でも、生きることのハードルに比べたら、そっちの方がまだ格段に低いハードルではある。
いますぐ死ぬことはできない……。当面は、明日も、明後日も、つらい思いをし続けるしかない。また、我慢の日々が続く。
でも少なくとも40歳までに人生にケリをつけたいと思っています。もしかしたら、それまでの間に何かが変わることもあるかもしれない。でも何にしたって、生きることは怖い。怖くて怖くてたまらない。人に助けを求めても、一方的なアドバイスをしてくれるだけ。結局は、自分が自分の意志で動かなければどうしようもない。自分を救えるのは自分だけ。生きるにしても、死ぬにしても。
それが世の中。冷たい世の中。
こんな世の中に、生まれてこなければどれだけよかっただろう。人間はみな祝福されて生まれて来る、人はみな幸せになるために生きているなんて、大嘘だ。今日も明日も、不適合者であるというだけで、みんな、死ぬまでもがき苦しみ生き続けるしかないんだ……。人にはそれぞれ遺伝情報があり、つまり最初からある程度は社会の中での「値段」「価値」が決まっている。「無理ゲー社会」とはまさにその通り。
いつになったら、この長い長い悪夢が終わるのだろう……いつもそんなこと考えて、我慢して生きてます。自分が死んだら、やっとこのつらい夢から目覚められるのかなって。
202101通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
読ませて頂きました。
無責任な言葉に聞こえるかもしれませんが、あなたのように考えてしまう方は決して少なくないと思います。日本全体が経済的にも社会心理的にも萎縮しているのだから致し方ありませんよね。
一方で思うのは、『本当にどこに行っても徹底的に無能という人は案外少ない』『何もできない、という人は自分自身や周りがそう思い込んでいるだけというケースが多い』という事です。あなたの話の中であなた自身の特性と思われるものについていくつか挙げられていましたが、それも職場によっては問題にならなかったり、あるいは強みになるケースもあります。
どうもこの余裕のない世の中では、仕事が上手く出来ないというだけで『あいつはナンチャラ障害だ』とけなしても構わないという風潮がありますが、そんな連中の言葉をまともに受け止める必要はありません。
お身体の状態についてや、求職活動・面接への抵抗感がどれ程のものか、あとどの都道府県にお住まいでどのような仕事があり、自治体からどのような支援が受けられそうかについては分かりかねますので、あくまでここからは私見を述べさせて頂きます。
・いわゆる人手不足の業界の中でも、そこまで体力の消耗が激しくなさそうなところを目指す(電気系や運送系のうち、体力面の負担が小さいところとかでしょうか。具体例を挙げると、電気工事士や医薬品の配送など。もしこの投稿を見た方で『それは違うぞ』という方がいらっしゃればご指摘頂ければと思います)
・資格の取れる所を狙う(先ほど挙げた電気工事士なら、さらに上の電気主任技術者を狙う。多少は体力の負担もあるが、介護系の資格やドラッグストアの登録販売者などを検討する。取得に年数と費用がかかるが、看護師などを考える)
・公的な支援を頼る(いわゆる職業訓練校。ネットでの評判はよろしくないですが、公共の職業訓練をボロクソに言ってるサイトが実はプログラミングやカウンセリングの怪しげなスクールの広告だったりすることもあるし、何を信じるべきかはよく分からないですよね)
私の勝手な考えでは、就農支援にも興味がありますね。農村の人間関係というものには抵抗がありますが。
あるいは外国語を学んで観光客相手の仕事をするとか。これからは日本人よりもお金を持ってる海外の人を相手に商売した方が良さそうという意見もありますし。
あなたは音楽(とSF?)に少なからずご興味があるようなので、その辺りから自己理解を進めるのも良いのではと思いました。いずれにせよ『出来ないことを出来るようにする』よりも『自分に出来そうなことで続けられそうな事は何かを考える』のが良いと思われます。
長文乱文、失礼いたしました。
つきよのさくら@こころ穏やかに
お手紙を読んで、あなたは賢くて優しいかただと感じました。
あなたのご両親も賢くて優しいかたなのではないですか?
そのご両親にもう少し甘えてもいいと思います。むしろ甘えさせてもらいませんか?
生きることは、つらく苦しいです。
他の人のために席を譲ることを考えながらでもいいと思います。
何かひとつ毎日のルーティンを決めてみるのはどうですか?
お散歩だったり花や野菜を育てたり…
もう一度音楽の勉強はじめるとか…
いつかあなたのこころが穏やかになることを願っています。
ななしさん
今まで、お辛い経験をされてきたのですね。
ご自身の生き方について、とても悩んでらっしゃることも伝わってきました。(あなたの文章はわかりやすく上手ですね。)
世の中は想像以上に広く、探せば、いろんな居場所や働き方があります。
あなたに合った所も、きっとあると思います。
社会には助け合いという一面もありますから、医療や福祉の力を借りてもいいんじゃないでしょうか。
精神保健福祉センターや発達障害者支援センターで、メール相談できる所に相談してはどうでしょう。
専門の人のほうが、あなたの状況や心理が理解できるし、役立つはずです。
自分で自分を救うために、サポートを利用するのです。
少しずつ気持ちが楽になりますように。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。