lgbtのtについて少し思ったこと。
賛否両論あると思うし傷つく方がいたらごめんなさい。
というか内容的に流れるかも不安だな。
数ヶ月前にどこかの地方裁判所で手術なしでの戸籍変更が認められた件があったと思うのだけれど、正直少し怖いと思った。
1件認められれば次も、その次も、そういう方向に動いていくんだろう。
そうやっていつかは裁判沙汰にせずとも名乗るだけで性別が変えられるようになる。
その人達全員が本当にトランスジェンダーなのであれば別に良いと思うし当事者にとっては喜ばしいんだろうと思う。
でも、どうやって見分ける?
嘘をついていない、制度を悪用していない、どこでそう判断できる?
手術のリスクを背負う必要がなくなれば悪用のハードルも下がる。
しかし従来の手術ではリスクや後遺症は、その後普通に生きていけるというだけの価値には見合わない重さだとも思った。
正直解決策は科学技術の進歩以外に思い付かない。
ただそれでは今現在苦しんでいる人々が救われない。
そしてそもそも自認とはどこからだ?
性別を自認するのは分かるけれど、年齢を自認するというのは自分にはよく分からない。
身体的には中年男性だけれど精神的には未成年女性だという人の法的な扱いはどうなるのだろう。
免許も取れないし働けもしないのなら分かるけれど、海外では車を運転し普通に働いているというのだから良いところ取りでは?
まあ自分のこの分かる、分からないという感覚だってとても身勝手なものだ。
どこまで分かってどこから分からないのか。
単に受け入れられるか否かの問題なのかもしれない。
あとは、性的指向としてトランスジェンダーが恋愛対象だという人が居たとする。
で、逆にシスジェンダーが恋愛対象だという人が居たとする。
前者は容認されそうだけれど後者は果たしてどうなのか。
きっと後者は差別だと騒がれるのだろうなと思ってしまうとそれはそれで生きづらさを感じる。
まあこの辺りは特に自分の偏見が強めなので反論も多そうだけれど。
色々と書いたけれど、単純に自分は自分の身の安全が心配なだけだ。
最近は外でトイレに入ると、男性は女性用トイレに入らないでくださいという貼り紙がしてあるのを見かける。
これは風潮として女性自認の男性が女性用トイレに入る可能性があるから貼ってあるんだろうなと考えるとなんとも言えない気分になる。
と同時に、この店は訴えられたら負けるのではないかという一抹の不安も覚える。
少し話が飛ぶけれども数年前、軽く付き纏いをされたことがある。
相手はいつだったか女の子になりたいだとか言っていた。
同性だったら何をしても許されると思ってんの?
身だしなみにも気を遣わず清潔感も気にせず、それで性別だけが違ったからって許されるわけなくない?
公共の福祉で制限されるべきはどこまでなのか。
そもそも制限されるべきはどちら側?
少数派=弱者とすれば或いは、しかし力で劣るのもまた弱者であり、そう考えるとより分からなくなっていく。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
不快な思いをさせていたら申し訳ありません。