まあ、タイトルの通りなのですがw
1番の親友からの信頼を、全て裏切って失った話です。
俺の性格の関係で、この小瓶の一人称はほぼ全て「俺」だと思うが悪しからず。
親友とは、中学1年生の時に出会った。俺の学校は中高一貫校で、しかも俺たちが入学した時にちょうどコロナが流行り始めてマジで最初の2ヶ月くらいは誰もクラスメイトの名前と顔が一致しない、みたいな生活だった。いざ緊急事態宣言が解除されて部活動なんかも少しずつ始まった頃、ある土曜日の授業終わり、親友が1人で教室でお弁当を食べてて。なんでも、演劇部の活動がこの後あるけど感染防止の為にクラスでお弁当を食べなきゃいけないんだと。まだ登校できるようになったばかりで、お弁当を食べる相手は同じクラスの部活のメンバーしか居ないけど、当時の演劇部は親友1人しか居なくてぼっち飯だった。見てて少し可哀想って思ったのもあって、演劇部の活動を覗きに行くって約束をした。
そしたら、マジで楽しかった。演劇ってこんなに楽しいんだと初めて知ったし、親友に声をかけて本当によかったと思った。そこから仲良くなっていって、少しずつお互いの考え方を知ったり、たまに意見しあったり。親友の意見はきちんと聞くようにしてたし、苦手はなるべく改善しようと色々試したりしてた。
でも、今思うとそれが間違いだったのかなって。いや、改善することが間違いなんじゃなくて、「改善したつもり」になってた。
少し俺の家の話をすると、俺は昔から「できないことは悪」「悪いことをすれば怒られる」という認識で生きていた、というかそう思い込んでた。それは、俺の生きる世界が狭かったこともそうだし、親の考えもあったのかもしれない。その結果、俺は「できない=怒られる」って思ってしまった。
だから、親友からできてないことを指摘されるたびに、必死に直そうとした。でも、ある時から直すことが億劫になって。初めは、直せていない自分に焦った。でも、そのうち慣れてしまって、今度は直そうと考えることが億劫になった。そして、最終的に直そうと思わなくなった。それが異常だということはわかっていたけど、異常あることは俺の中では「怒られること」だった。それが嫌で嫌で、ずっとだれにも悩みを言えず、そのうち自分で自分の感情を見て見ぬ振りをして。
つい最近、とうとうそのことが親友にバレたよ。親友からすれば、俺に割いてくれた時間や、想いや、言葉のその全てを否定されたと思っただろうし、俺が化け物に見えただろうね。親友が泣いている時に俺がかけた言葉も、一緒に笑った思い出も、全部全部全部、偽物だったと悟った、そう言われた。
俺には、それを否定できるだけの材料がなかった。だって、何かを変えようと「その瞬間は」思ってもそれが続かない。だから行動にも移せない。幾ら俺が心の中でいろんなことを考えていたって、どんな風にも後から言えてしまう。
こうして、俺は親友からの信頼を失った。俺が親友を裏切る形になった以上、きっと二度と親友と話すことも無いのかな。悲しいな、寂しいなと思うけど、俺が親友に聞こえるところで言うのは違うと思ったから、この小瓶に吐き出した。もう、俺はあいつと他人として今後生きていくんだろうな。
もし、俺が最後に言えるなら。
「今までありがとう。ずっと大好きだし、応援してる。どうか俺のことは忘れて、今度こそ信頼できる人と巡り合ってください。貴方の人生が幸せで溢れます様に、わたくしは心からお祈り申し上げます。」