人は変わる。
きっかけがなんであれ、良くも悪くも変わる。
本人が意識しているものもあれば、無意識下で何時の間にか変わっていることもある。
そして劇的なものもあれば、良く見なければわからないようなものまで。
それはそれは多種多様、十人十色に変わる。
ただ、筆者の主観から共通することと言えば。
とてつもなく難しいということである。
自分を変える、自分が変わる。
それは、ある種、今までの日常を投げ捨てることと同義である。
例えば見た目。
髪を大胆に切る、メイクをする、髪型をセットする、美容に良い食べ物を食べる。
最初から言えば、最初は周りの目が変わる。
二番目と三番目ならば外出前にやることが変わる。
最後ならば食生活が変わる。
周りの目が変わるのはそれを気にする者にとって死活問題だ。
周りの目、周りの自分を見る目が変わる。
それは、周りからの印象が変わるということ。
普段から自分がどう思われているのか気にしている者からすれば堪ったものではない。
外出前にやることが変わる。
つまりスケジュールが変わるということ。
外出前に一手間増え、それによって一手間分の時間を空けるためにスケジュールの調整が必要になってくる。
決まったルーティーンを大事にする者には致命的であろう。
最後に食生活が変わること。
つまり摂取する栄養が変わること。
健康面を考えてメニューをがらっと変える必要が出てくる。
美味しい物だけを食べたい者には苦痛だ。
今は見た目の例だけを挙げたが、他にも変わることはいくらでもある。
考え方、匂い、五感の鋭敏さなど。
変わり方が小さくとも、それが自分から意識して変えたことならその者の勇気と努力は並ではない。
やってることは少なくても、最初の一歩を踏み出すのは誰であっても難しいものなのだ。
変化は怖い。
それは今までの日常が無くなることと同義だからである。
だが、良いこともある。
例えば視点。
散歩の時に見る場所を変えればまた違った誰かの日常の切れ端を眺められる。
スポーツの時なら改善点や試合中の視野が増える。
だが言い方を変えれば。
散歩の時に見る場所を変えればまた違った醜い場所を見るけることもある。
スポーツの時ならば悪いところのみに目を向けたり、関係ない場所を見つめて集中力が下がることもある。
だからこそ長い時を生きてきて、人生の変化が乏しくなった一部の老人は、昔と同じ政治家に投票する。
今の生き方や世の中を否定することで恐怖を紛らわす。
当たり前の反応である。
誰しも変化は怖い。
若者が心の内に秘めている物を、老人は外に出しているだけである。
だが恐怖を表に出すか出さないかの決定的な違いと言えば。
未来であろうか。
老いた人は過去を見る傾向にある。
未来に意識を向ければどうしても死の可能性が付き纏うからだ。
だが若者はどうだろう?
まだまだ人生これからだと考え、未知の出会いに心を躍らせ、明日の天気にすら一喜一憂する。
そこには老いるのはまだ先だという恵まれた環境によるある種の思考ロックがかかっているからだ。
だとしても好き好んで変わろうとする若者は少ない。
誰もが変化した後の悪い影響を見てしまうからだ。
一歩を踏み出す勇気があっても、悪いことしか起こらない場合もある。
それを考えて踏み出せずにいる者がほとんどだ。
だからこそ、「変わる」というのはかくも難しいものなのである。
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オダマキでございます。
途中から何が言いたいのかわからなくなってしまいました…
ですが、今実際に好きな子と話したいとかで変わろうと頑張ってみてる私から見て、自分を変えれるのはとてもすごいことに映っているのです。
だから、悪いことがあるかもしれなくても、まだ若いなら。
まだ学生時代の失敗として未来で片付けられる物にできる時なんだったら。
怯まずに、挑戦してみてほしい。
それが、この詩?で言いたかったことです。
それではまたお会いしましょう。