僕はよく天井の蜘蛛を見つめている。
そいつには毒がなく、蜘蛛の巣を張ることもないので特に害はない。ついでに言えば、臆病なのか部屋の隅や壁、天井なんかを好んで歩いているようで間違えて踏んづけてしまうようなこともない。更に、ゴキブリなんかの虫も処理してくれるらしいので良き隣人(同居虫?)として現在も退治することもなく放置している。
僕は憂鬱な気持ちになった時に布団に寝転がり天井をぼんやり見上げることがある。そんな時、彼が視界に入ると少し嬉しく思うのだ。
人間が視界に入ると考えすぎて辛いときも、小さな蜘蛛がちょこちょこと視界に入るだけなら穏やかな気持ちでいられる。人間相手なら干渉される可能性を考えてしまうが、蜘蛛たちは僕に干渉してこないからだ。
動物園で動物を眺めて癒やされるように、僕は天井の蜘蛛を眺めて一時の平常を得る。
やがて彼らが天井を横断し終えて視界から消えると、僕は不意に現実を思い出してまたどうでもいいことを延々と考え続ける作業に戻る。
そんな妙な数年を過ごしていたが、近年は天井に違う虫が出てくるようになった。検索してみれば彼は毒を持つ毛虫なんだそうだ。彼らの毛に触れればたちまち皮膚が炎症を起こしてしまうらしい。
彼らもまた僕には干渉せずに天井や壁の際を歩いているが、そういうわけで蜘蛛と違い彼らとは共存が出来ない。
彼らは僕に見つかったが最後、粘着テープで貼り付けられては小さい袋に閉じ込められて一生を終えるのだ。
毒は攻撃の手段であると同時に、捕食者に襲われないよう備わった防御の手段である。しかし、その毒のせいで駆除されることになるとは皮肉なものだと僕は同情に似た憂鬱さを覚える。
都合が悪いから殺される。僕の一方的な都合で家の虫は良き隣人になったり駆除対象になったりする。
「すごく可哀想」だ。
そうして憂鬱な気持ちで布団に転がると、天井を蜘蛛が歩いているのが見えた。
僕は命に優劣をつけることが不意に厭になり、僕はその蜘蛛を駆除することにした。
それは僕の一方的な都合だった。
しかし、蜘蛛は1匹ではないらしく、翌日も彼らは時折天井を歩いていた。その頃にはもう気が落ち着いていたので僕はいつも通り一方的な都合で彼らを見過ごすことにした。
僕は今日も天井の蜘蛛を見つめている。
208944通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
お返事が届いています
名前の有った小瓶
主さんのお返事を読んで、改めて自分と考えが似てると思い仲間を見つけたような感じがして嬉しくなります。
人同士の関係も結局はお互いの自分勝手な感情や価値観が上手く噛み合った時に仲良くしたり共存出来てるだけなんだよなぁ…なんて考えたりもします。
例えば学校の教室にゴキが出たとしたら、それを退治して見えないところに捨ててくれる人は『よくやった!』って称えられると思います。
でも綺麗な蝶々が迷い込んで来た場合に、ゴキと同じ様に殺して捨てたら『可哀想じゃない?』って批難される可能性が出てきます。
ゴキを殺して可哀想と思う人もいるかもしれませんが殆んどいないと思います。
(殆んどいない、という考え方もまた自分勝手な都合ともいえますが…)
男女差別や人種差別、偏見とかもなくなれば良いと思ってはいるけど、無くなることはないだろうなとも思ってしまってます。
今まで差別や迫害して当然だと思っていたものを、ある時から無くすなんて容易いことじゃない。
明日からゴキも蝶々も同じ生き物だから無闇に殺すこと禁止、なんて言われても無理だと思う。
蝶々は受け入れられてもゴキは無理。
自分の一方的な価値観が世間と運良くマッチしてたら普通で、そうでなければ異端扱い。
普通に悩まずに生きられたら良いのにって思います。
何となく書きたくなったので書いてしまいました。
みぃの
(小瓶主)
小瓶主です。ありがとうございます。
人間の話に昇華させたい部分があるのを感じ取ってくださりとても嬉しく思います。嬉しいので一方的な都合で長文を更に綴らせていただきたく存じます。
上の文章についてはノンフィクションの話なのですが、元から個人的思想として
“人類は皆平等!と掲げている人でも攻撃性(毒)のある人は積極的に排除しようとするよね。
その攻撃性も認めてこそ平等なんじゃない?それが認められないなら平等とか言うもんじゃないよ。
そういう人は自分の都合で何かを選別しているのを自覚すべき。
自己中心的で価値観を押し付けている自覚を持ちながら責任とある種の罪悪を持って日々を生きていこうよ。”
という極めて押し付けがましいものがありまして…それで今回の文章を書くに至ったわけなんですね。
>だからもし自分が誰かに
>『生理的に無理、キモい、死ね』
>と言われたとしても否定が出来ない。
というのは本当にその通りだと思います。こちらが抵抗する権利はあれど、あちらからも同等に拒絶する権利があるんですよね。自分が一方的な都合で何かをやっているのだから他人の都合もある程度は受け入れなきゃいけない。
己の自分本位性の自覚とそれに伴う他者への受容感情(許容?)は忘れずにいたいと思います…。
名前の有った小瓶
とても共感します。
命は平等とか言ってる人間でも自分の都合で害となる虫は殺す。
私は蜘蛛が苦手なので見つけたら駆除してしまいます。
もちろんゴキも同様。
生理的に苦手という自分勝手な理由で殺してるのです。
だからもし自分が誰かに
『生理的に無理、キモい、死ね』
と言われたとしても否定が出来ない。
やってることは虫を殺すのと同じだから。
なのに何故か人間同士だと
『害虫と人間相手じゃ話は別』
とか綺麗事や例外を持ち出すんですよね。
自分勝手な都合の押し付けあいなくせに。
なので自分の都合で見逃してると認識してる主さんにとても共感しました。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。