あの時の英語の先生マジさんきゅー。
でも、あたしはけっこう好きな言葉なのだけど、他の人にはあまり受け入れられないみたい。
ちょっと悲しい。
一度相手に恨みや憎しみを抱くと、相手の悪くない部分まで悪く見えてしまう。
ただの笑い声やちょっとした動作、責めるべきでないものまで責めたくなってしまう。
この言葉は、そんなあたしにストップをかけてくれた。
無理やりにでも良いところを見つける癖ができた。
だからあたしは、今でもあの人を恨まずにいられるのかもしれない。
あのいじめっ子の良いところはね、とにかく人を惹きつける力があること。
クラス全体で動く時には司令塔になれること。
あと、英語が得意。
あの先生にも納得がいかない部分は多々あったけど、この言葉をくれたことには本当に感謝してる。
けど、これが出来るのはあたしみたいな無神経で自分の痛みに真剣になれない奴だけかもなぁ。
もっと自分を大切にしなきゃいけないってのは理解しているけど。
究極的に言えば、自分なんかどうでも良いって潜在的に思っているから出来るんだろうな。
自分も相手も大切に出来るようになりたい。
相手や自分の不幸を望み、それで幸せになるような人間にはなりたくないから。
ななしさん
「相手が憎くてたまらない時ほど、相手の良いところを探せ」私もこの言葉好き。
「無理やりにでも良いところを見つける癖」この癖いいと思う。私もこうありたい。
ヨシタケシンスケさんの“ころべばいいのに”からの“りんごかもしれない”みたいな。“ころべばいいのに”と思いつつの“りんごかもしれない”みたいな。
憎いと決めつけて、その人の全部を憎いで染めたくはない。憎い気持ちがあってそれを認めつつも、見方を変えて見たい。
けど、ほんと無理はしないで。「自分も相手も大切に」を大切に。
精神科医がよく言うのは「苦手な人とは距離を取れ」みたいよ。一時的に距離を取るのは私も賛成。簡単には距離を置けない相手もいるし、縁が切れるほど離れたら和解や修復の機会まで失ってしまうからその点では反対。
だけど私の失敗談みたいに解離性健忘になるほど無理をしたって何の意味もありません。私にとっては精神科医も同様、何もしてくれない。
なので、自分の身は自分で守りましょう。
相手や自分の不幸を望み、それで幸せになるような人間なら死ぬわと私のようには考えないで。
相手も私も小瓶主さんもお幸せに。