推しの先生がいる。そして、その先生が結婚していると知った。
すぐ一目惚れ…ではなかった先生。最初の教員紹介で名前を呼ばれた時一番歓声、もとい黄色い声が大きくて、絶対好きになるもんかと逆張りをしていた先生。でも、私も例に漏れず、最初の授業の頃にはもう好きになっていた。
同性だからというわけではないけど、恋愛感情は持っていない。でも、あれは確かに恋に落ちた感覚だった。毎日先生に会いたくて、よく職員室を覗いていた。行事ごとに一緒に写真を撮っていただいた。
そして、先生のクラスの生徒になれた。幸せで、とにかく濃い毎日。大好きだった。そして今も、大好きなのだ。
だからこそ、先生の左手の薬指に光るものを見つけてしまった。それを、カーディガンの袖で隠しているところも。
今までつけているのを見たことがなかった。毎日お洋服ごとに鞄もマスクも変える先生だから、ただのおしゃれだと思いたかった。きっと何かの幻覚だと思った。すごく胸が痛かった。
でも、先生は次の日もそれををつけていた。結婚されてたんですか、たまたま二人になった時にそう尋ねた。
はい、としか先生は言わなかった。
それを見つけた日に感じた失恋まがいの痛みは、もう感じない。結婚を誤魔化さずに認めてくださったからだと思うが、私はむしろすっきりしている。それを見つけたことと隠されたことの二つのどちらもが、もやもやする原因になっていたのだろうと思う。
ここまでを友人にも話している。自分の中でも納得している。
でも、やはり寂しいものは寂しいのだ。いくら私が知らなかっただけで、はじめから“結婚している”先生の事を好きになったのだとしても、なんとなく寂しいのだ。面倒な人だと思われたくないから友人にも言えない。
もうバレンタイン先生に渡そうかな、なんて無邪気には話せない。同性だし(先生が異性の方と結婚されているという点からこう書かせてもらう)担任だから日頃の感謝として細心の注意を払えば渡せないこともないだろうが、先生や相手の方に負担をかけてしまうかもしれない。
先生のこんなところが好き、と友人に話す時も本人の目が届かないところで、より一層気を使わなければならないと感じるようになった。
重ね重ねになるが、私は先生のことが大好きだ。噂ではなく、憶測でもなく、先生の口から結婚していると直接伺えて本当に良かった。ただでさえ大変な教師というお仕事をされている先生には、プライベートでは世界一幸せでいてほしい。その上で教師としての幸せを私たち生徒がプレゼントできたら私も幸せだ。だけど、少し寂しさが残る。
板挟みになっている苦しさを吐き出したかった。長文で申し訳ない。
先生にとっていい生徒でいたい。