インサイドヘッド2のネガティブな感想を含みます。安楽死について肯定的な意見を述べていますが個人の意見です。
インサイドヘッド2を見た時、この世界の目指す幸せに自分は居ないと思った。たった1作品から世界を判断するのは大袈裟だけど、そう感じた。不安の渦に飲み込まれたままでいることは良くないと言われているように聞こえた。悲しいのか惨めなのか悔しいのか色々混ざって涙が止まらなかった。
私は私の不安を愛している。私が不安の中から出られないことは悲しく辛いだけではない。不安の渦の中でした死にたいという選択を私は安らかに受け入れている。
喜びがなくても、悲しみと不安にまみれた人生は悲惨なものじゃない、と思いたい。幸せになれない人生を送っていると気づいたことは悲しいことじゃない。私が決めた。尊い人生だと。
社会が私の形を受け入れないだけで、私は悲しい存在じゃない。死ぬことも生きることを決めたのも一つの選択に過ぎない。同じだけの価値がある。それを勝手に悲劇の枠に押し込めないでほしい。
できることなら社会に目指す幸せに私たちも座れる席を置かせてほしい。横に座って笑って死にたい。不安を愛してるよと言いたい。不安と悲しみと絶望に溢れた人生だったけど素晴らしかったと自分に言ってあげたい。
安らかに死ぬ権利が、生きる権利同様に守られるものになってほしい。生きることを正しいと決めた社会のズレた支援を受けるのはやめたい。
私の意見を言葉を聞いて。悲しみや不安は喜びと同じ価値がある。幸せになれないと決めることが必ずしも不幸せな訳じゃない。不幸せな自分を愛してるんだよ。無理やり社会の幸せに押し込めないで。自分のままでいさせて。最期まで自分を愛させて。自分で自分を殺さなくていい医療があるなら助けてほしい。恐怖の中で自分を追い込んで殺させないで。自分を愛することを許して。胸を張って私は死にたい、自分を愛しているからと言わせて。