※相変わらずの話のまとまりのなさ
※良い子は乱用なんてやめようね
※寝オチなんてサイテー!
僕は夢を見ていた。なんの夢だったか……。上手くは思い出せないが、どうせろくなもんじゃないだろう。さっきまで確かに見ていたはずなのに“それ”は思考がはっきりしていく度に、意識が現(うつつ)へと還り行くほどに、僕の記憶からするすると抜け落ちて行く。僕の認識とはなんだっただろうか。僕の見ている世界はどこまでが現でどこからが夢で幻覚で……。夢から醒めて視界がすっかり暗闇に包まれた刻の中、僕はぐるぐると認識や記憶について思いを巡らせていた。しかしまぁ、覚えていないのは不幸中の幸いと言えるだろうな。まだしばらく目を瞑ったまま雑然とした思考でもまとめているとしよう。
……僕はこの時間が好きだ。夢でもなく、だからといって現を認識しきってもいないわずかな境界の時間。自分のペースで少しずつ現実を思い出す寝惚けたような時間。あるいは、現に還らぬように留まり続ける逃避の時間。人間が受け取る情報の8割は視覚情報とも聞くのでそれらをシャットアウトした残り2割こそがこの時間なのだろう。そうして段々と考えることが思いつかなくなった僕は比例するように段々とこの世界に不満を覚えていき、やがて目を開ける。残り8割の情報量が脳に突き刺さり半ば目覚めたことに後悔しつつも起きると決めた僕は気怠い身体を持ち上げる。枕元のぬるい飲料を胃に入れるとなんだか起きた実感がしなくもないか……。兎に角、僕の1日はそこから始まるのだ。
さて、今日は何をしようか?
上記は“上振れた”日の再構成である。では“下振れた”日は?少し前提を交えながら話をしよう。
僕は夢が嫌いだ。僕はあまり良い人生を送ってこなかったからか、夢に出る内容は覚えているもののほとんどは良いものではない。現実パートで体験したトラウマや反芻した思考が具現化して僕を襲ってくるのだ。僕専用と言わんばかりに何倍にも尖らせた恐怖はやや平和ボケしつつある僕の精神を的確に抉る。
夢の中の僕は大抵何かを失敗している。何かチャンスが到来しようと掴みきれず失敗し皆に嘲笑われる。自信のなさから挑戦を拒絶しては不出来な自分を責める。夢であると認識した途端に突如僕にとって都合の悪いシナリオに書き変えられる…。それも大抵どの失敗経験が“元ネタ”であるかが分かるように、僕にきちんと思い出させるように、それらは鮮明に描写される。そして上記の通り夢だと気付いたときには手遅れで僕の精神状態は限界に達する。僕は祈るように自分の意識を“現実へと逃避”させる。1秒たりとも長い夢を見ていたくない。厳密には、夢を覚えていたくない!境界の時間をスキップしその日はすぐに現実に行く。現実逃避ならぬ夢逃避とも言える行動だ。そして僕は間に何を考えるでもなく必死に夢日記を綴る。
ここで境界の時間が無いのは“耐えられないから”である。恐怖体験は自分の寝惚けた頭では到底処理しきれない。忘れることさえも出来ない。どこかに書き散らしておかないと本当に耐えられないのだ。発狂してしまう、いや既に発狂しているのか?起承転結の結まで終えた後、僕は思い出したように酸素を貪る。過呼吸と言っても差し支えない。正直に言って最悪の目覚めだ。
狂いの発現からスタートした日は体調不良がモロに出る。トラウマと寝不足から嘔気を伴った咳が止まらなくなる。腹を下す。身体が震える。死にたくなる。
あんなにも夢から逃避した挙句、僕は現実の身体症状からも逃れたくて「離脱症状だからしょうがないんだ」とSNSに半分嘘の内容を書き込む。
僕は時折SNSで離脱症状を訴えているが、あれらは半分嘘なのだ。半分は、他の小瓶を見たことのある人間なら分かるかもしれない乱用っぷりが原因だが本来の理由はそうではない。
あれらの乱用を始める前から僕はトラウマと悪夢と自分のなんたるかについて思考を巡らせてきた。そして今回のように頭がひねり潰されそうになりながら目を覚ます。1週間のうち半分は一人孤独に発狂をし、懇願するように死を想う。むしろ、近年の乱用は悪夢やフラッシュバックに理由を後付けしてほしいという願いさえ混ざっているのではないだろうか。都合のいい理由がつくのなら乱用も厭わないとさえ感じてしまっているのだ。
大抵は起きてから寝るまでに別の情報を脳味噌に入れて現実逃避に成功する。ネットサーフィンをし、気になる情報を見つけ、眠くなるまでそれら関連情報を調べることに時間を費やす。いつも休日であることに奇特な感謝を頭に思い浮かべながら己に都合の悪い事柄から目を逸らすのだ。
しかし、日によっては寝る直前まで夢の内容を引きずってしまい脳味噌の情報が不安と謝罪と混乱で埋め尽くされていることがある。それも珍しくないと言えるような頻度で、だ。何にも集中出来ず、人に声をかけられても笑いはぎこちなく、日常を振る舞うことに労力を要する。一人になるとフラッシュバックの内容を1から順に思い出し脳味噌の言葉の刃を自分に向けては涙を流す。夢のどうでもいい出来事に1日を使うなど馬鹿馬鹿しいだろうと思う人もいるだろうし、実際僕もこのような強迫じみた侵入思考は馬鹿げたものだと感じている。故に、誰に相談するでもなく一人で発狂をし、夢日記を綴り、生きている価値も道も全て見誤る。
以前僕は一つの仮説を立てた。大雑把に言えば「覚えてさえいなければ楽なのではないか?」といったものである。
夢は浅い眠りの時に記憶される。深い眠りになれば自ずと楽な日が増える。その上で記憶まで曖昧にしてしまえたら一石何鳥だろうかと。そこで僕は正当に睡眠薬を手に入れた。それを一気に飲み干し、僕は記憶が抜け落ちると恐怖と安堵に包まれた。段々と行動はエスカレートした。このまま日常生活に支障が出るほど記憶力を低下させてしまえば苦しみがなくなると思ったのだ。
…結論を言えばそれは正しかったが一部間違いでもあった。以前までの記憶力は消え失せ、僕は昨日の自分の行動さえも自分の綴った行動ログを読まないと思い出せなくなった。トラウマが上塗りされることも格段に減ったと言えるだろう。しかし、過去の反芻しきった記憶が消えることはなかった。厳密には、語尾や言い方を含む詳細なやり取りを思い出すことは出来なくなったものの、大まかなあらすじと恐怖心だけはどうしても消えてくれなかったのだ。僕の“記憶”は長年反芻したためか“記録”として脳裏に刻まれている。自分ごとの物語として受け止めることは出来なくなり嫌な出来事を落語のごとくすらすら諳んじることも不可能になってしまったが以前として雑把なストーリーは頭に入っている。例えばそれは衝撃的な陰鬱映画を幼き日に見てしまったような、親しくしていたクラスメートから不意に家庭環境の悪さを聞かされたような…。そんな他人事のような不幸が今も夢に出る。
僕が持ちうるあらゆる想像性を悪意に傾けた、僕を精神的に殺す為の、僕専用の夢が、他ならぬ僕を苛む。
そして睡眠薬で記憶を削ることはそれ以外のデメリットも存在した。“睡眠薬を飲まないと確実に悪夢を見るようになった”のだ。簡単に言えば薬がないとろくに眠れない、浅い眠りしか見られない、その結果悪夢を見る…その順序だ。睡眠薬なしで泊まりに出かけようものなら眠れずに虚空にうわ言を言うか悪夢で泣きながら翌朝を迎えることになるだろう。
ただ、そのデメリットさえも悪いものではなかった。それらは誤算ではあったが逆を返せば“睡眠薬を飲めば悪夢を見る確率が減る”のも確かでもあったのだ。良い眠りは僕をトラウマから遠ざける。悪い使い方をすれば記憶力が緩まって年々長いことを考えられなくなっていく。
序文で『覚えていないのは不幸中の幸い』と言ったのは睡眠薬の本来の功績だろう。僕がやった多くは推奨される使い方ではなかったが僕はそれから睡眠への苦手意識の大部分を克服した。
ああ、話がとっ散らかってしまったがこれは寝ていないからだろうか?起床からかなりの時間が経過している。もしくは記憶力の低下で話に結論をつけるのが下手になってしまったのだろうか。まぁ、いい。読者には申し訳ないが僕はこの辺りで無責任に筆を置いて睡眠薬を適切に使用する。
記憶なき睡眠を確保できることを祈って。