祖母が亡くなりました。いつ来てもおかしくないお迎えだったとはいえ、まだ自分の中で心の整理がついていません。
両親が共働きなこと、私が初孫なこともあって小さい頃から大変可愛がってくれました。幼少期のあれやこれやを思い返すと、そこにはほとんど祖母の姿があります。
私が小学校高学年の頃に祖母が倒れました。その日からほぼずっと入院生活で、認知症も始まったため、面会に行っても体調によっては家族の誰のこともわからない、なんてことがありました。
祖母が倒れて入院した数日後に震災があり、家はめちゃくちゃになりました。もしその時いつものように家にいたら、と思うとタイミングは良かったのだと思います。もちろんどちらも起こらないに越したことはないのですが。
今回亡くなったのも祖父の三回忌のために家族が揃っているタイミングでした。朝方急に連絡があったこともあり死に目には会えなかったのですが、今後執り行われる式の準備等を考えても、またしてもちょうどのタイミングでした。
ここまで書いてようやっと涙が出てきました。式をどのようにするか、葬儀会社の方の話を家族で聞いているときに何度も我慢した涙が、今部屋に1人になったタイミングで少しずつ溢れてきました。
お線香を上げる際に祖母の顔を見ました。入居していた施設の方で簡単な化粧等もしてくれたとのことで、とても綺麗な顔でした。とても綺麗な顔なのに、全く動いておらず、とても形容し難い、でも切なさにも似たような感情を覚えました。
ここまで書いた文章を改めて自分で読んで、あぁ、ばあちゃん死んじゃったんだなあ、という実感が湧いてきました。涙が溢れて止まりません。でもこうして文章として言語化することで頭の中が整理されるので、このまま続けます。
今の私の年齢から考えると、実際にお世話になった年数的には私の人生の半分になるかならないかくらいです。それでも、遊んでくれたこと、勉強を教えてくれたこと、面倒を見てくれたこと、いろんなことを考えると、ほんとに私の人生になくてはならなかったんだと感じます。
明日便箋を買いに行って、棺に入れるお手紙を書きます。感謝や後悔などのいろんな感情がごちゃまぜになって、うまく書き表せないと思います。でも心を込めて、丁寧に書きます。
今日は泣きたいだけ泣いて、寝られそうになったらゆっくり寝ます。おやすみなさい。