「いじめた側は覚えていない」
「傷つけた側は傷つけたことを忘れて過ごしている」
最近こういう意見を多く見る。
それなら私も誰かを傷つけてしまったことがあるかもしれない。
それを覚えていないだけで。忘れているだけで。
それが相手を傷つける行為だと気づいていなかっただけで。
あのときの発言は良くなかったんじゃないか。
なんとも思わずに言ったけど傷つけたんじゃないか。
自分自身の発言が誰かを傷つけていたらと思うと苦しくてしかたがない。
自分の発する言葉が怖い。
214354通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
お返事が届いています
名前のない小瓶
(小瓶主)
お返事をくださった皆様ありがとうございます。
「自分の言葉が暴力になる可能性」本当にその通りで苦しいです。
無沈着にならないように、これからも気にしながら気をつけながら過ごしていきたいと思います。
「言葉は贈り物」すごく素敵だなって思いました。
知識、理解、価値観。無意識に相手を傷つけてしまう理由になり得ますね…。
完全に理解はできなくとも、理解する気持ちは常に持っていたいです。
「考え出したらキリがない」本当にそうですね。
農家さんの例え、とてもしっくりきました。
不可能だと少し諦めて、ダメだと気づいたのなら反省する。それが大切なのかなと思いました。
皆様本当にありがとうございました。
ななしさん
主様、メール拝見しました。
確かにそういう意見をよく聞きますよね。
実際自分も、嫌な言葉を浴びたことをずっと引きずっていたりしますし。
だからこそ、言葉は丁寧に選ばなきゃいけないのだと思っています。
とはいえ、主様も悩んでおられるように、自分の言葉が暴力になる可能性を考えれば考えるほど、言葉を発すること自体が怖く、苦しくなるんですよね。
主様はとても心が優しく、言葉に誠実な方だと思います。
無頓着に言葉を放つ人よりは、きっと他者を傷つけるリスクも低いでしょう。
万が一、傷つけてしまったとしても、すぐに気づいて対応できるのではないでしょうか?
ななしさん
逆に、誰かの何気ない一言であなたが傷ついたこともあるでしょうから、お互い様じゃないかな。
「今日はいいお天気ですね」
って言っただけでも、恵みの雨を待ち望んでた農家の人なら傷つくかも知れません。
考え出したらキリがないよ。
人間なんてみんな不完全な生き物なんだから、誰のことも絶対に傷つけないなんて不可能だと思います。
ななしさん
怖がっているならgoodだよ。
怖さ+贈り物。
言葉は贈り物だから、
「お菓子食べる?」みたいな軽いものから
引き出物とか、
誕生日プレゼントとか。
発した方が意味がある、場が和む、事が改善する。そんなふうに意識していたらいいと思う。
誤解していたり、間違っていたら反省は必要だとしても、怯えることより贈る気持ちで。
「ごめんなさい」だって言葉だし。
あとは知識ね。
無知や無理解は、悪気もなく傷つけてしまう場合があるから。
自分の価値観を押し付けすぎない事も必要か。
視野の広さとか。目の前の人に共感しつつ、他の人を傷つけないように。
包丁は調理道具だけど、怪我もしてしまう。けれど、道具。言葉も贈り物であり道具。
お互い様、小瓶主さんも私も。
言葉は上手く使おうとしよう。
贈ろうとしよう。
ときには反省もしよう。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。