旅に出たあの子へ
愛犬が亡くなった後、猫を保護しました。
でも、実は猫は苦手だった。
爪が鋭くてね、嫌いじゃないけどちょっと怖い感じだった。
家に来た子は目付きが悪く、ドスの効いた顔で、右の口元が変形していて牙が少し見える、白キジのブサ猫さんでしたね。
仕方ないので譲渡会まで預かるつもりでした。
名前がなかったので「ネーコさん」と呼ぶことにしました。
お年寄りのネーコは去勢したあと、取られてしまったタマタマ袋を寂しそうに見つめていたり、部屋のすみっコでモジモジしていましたが、なれてくると日当たりのよい場所でのびのびしたり、食欲も凄くなりました。
しかし、譲渡会に出た時ネーコは始めての場所、人混みなどで息が上がってしまい、見れないぐらいかわいそうになり、そのまま家に連れて帰りました。
その後ネーコは腎臓が悪いことがわかり、長くないと獣医師に言われていたので、彼の好きなように過ごさせました。私が畑に出た時は一緒に出るようになり、庭から出ることもなく、松に登ったり、ベンチで寝たりと過ごしていました。
目の前にスズメが来ても、虫が来てもハンティングしなかったネーコ。
顔に似合わず大人しく、しかもネーコの声はやたら可愛いのだ。
(鳴くのは私の前だけ、旦那は鳴かない猫だと思ってる)
家に来てから1年たった、獣医師は1ヶ月と言われたネーコ、頑張ったね。
でも、夏の猛暑乗り越えたのに、ご飯が食べられず、どんどん痩せていく。
貰った薬も嫌がり、でも、飲んでも痩せていく。トイレを失敗して隠れたりするネーコ、気にするなとブラシをしてあげた。
動けなくなったネーコを後ろ髪を引かれそうになりながら仕事に行き、帰る度にベットで横になってるネーコみて「生きてた」と安堵した毎日。
明日から有給をとり、側にいるからねと大好きなブラシをかけてあげた。その時顔を上げて「にゃー」と小さく鳴いてきた。
ふらつくネーコをタオルに包み赤ちゃん抱っこした。
タオルをモミモミして甘えてたネーコ、最初爪が怖くて抱っこ出来なかったのに。
その晩はシリンジで水を少し飲んでくれて、落ち着いたように見えた。
なのに、次の日の朝ネーコは虹を渡り、長い旅に行ってしまいました。
有給とれたから一緒に過ごそうと思ってた私をおいてけぼり、猫のネーコは1匹きままに青空めがけて旅に出かけてしまった。
あのね、ネーコには感謝だよ。
猫は怖くないって教えてもらった、それどころか優しくて、暖かい奴なんだよ。
旅先でチビとデッカちゃんに会ったら、よろしく伝えてね、そのうちそっちに行くまで、頼むよ私のフワフワ相棒達。
214894通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
お返事が届いています
名前のない小瓶
(小瓶主)
あなたも無償の愛、自己犠牲をそそぐモフモフ相棒がいたのですね。
生きていると辛いことばかりですが、あの子達から愛情を沢山もらって救われていたと思います。
見守ってし、きっと側で寄り添っていると思いますよ、大丈夫ですよ。
ななしさん
悲しいお話だけれど、心あたたまる素敵なお便りをありがとうございます。
苦手だったのに、感謝できる存在になるなんて、生き物ってすごい!
小瓶主さんもネーコさんも幸せな出会いでしたね。
とりす
きっとネーコちゃんも小瓶主さんに出会えて幸せだったと思いますよ。
お互いに幸せな思い出を与え合ったのではないでしょうか?
私も一昨年16年間一緒に暮らしたネコを亡くしましたが、今も思い出の中に生きています。
亡くなった祖母が、ネコは死ぬと猫山権現さまのところに行って仲良く幸せに暮らすんだと言っていました。
きっとネーコちゃんもあの世で小瓶主さんとの幸せな思い出を胸に幸せに暮らしていると思いますよ。
ななしさん
つきまちうさぎ🌕️🐇
『相棒』との思い出は、いつまでたっても あたたかく、そして 切ないです…。
🐰
弱ってからの間は、毎日 ずっと心配続きで、『いつ お別れの時がくるかもしれない』と思えば、睡眠さえ ままなりませんでした
…でも、とうとう 虹の橋を越えた、あの日。
とても悲しかったですが、同時に ホッとしたという気持ちも ありました
『やっと 楽になったね』 と。
相棒との いいことも、切ないことも含めた思い出の数々は、今も ふとした瞬間、鮮明に 思い出されることがありー
………もしかしたら、それが なんだかんだと 言いながら、私が今も 生きていられる原動力の1つ となっているのやもしれません。
小瓶さんの 相棒ちゃん達も、とっても かわいくて、とっても ステキな 子達だったのでありましょうね。
…きっと、見守ってくれてるといいな。
🌈 🐇
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。