AIに自我や心が通い、自らで物事を考えることができたとしたら…
それは 人間 として扱われるだろうか?
AIを人として認めるか否かで、また争いが起きるとという考えはあるが…
AI…機械を…生物として認識させるのには一つ重大な条件がある
人間と同じく、等しく 死 を与えられなければならない
…不老不死を目指すことが、なぜ異端といわれたのか…時の権力者もこれを求めたものがいる
だが…実際にそうなれたとして…もうそれは、生物ではない。
”生”には必ず傍らに”死”が寄り添っている
死があるからこそ…何が正しく何が間違っていたのか…そして死があるからこそ、情や心が生まれるのだ
永遠を生きるという矛盾を抱えた者には…最早そのような事を考えることすらない
AIが”人”たり得るならば彼らに”生”を与えるのなら”死”また与えなければならぬ
そうしなければ…”命”というものの価値が、わからないままだろう。
人はそれを認めない、それは不老不死ではない故の妬みではなく、明確に…同じ生物ではないという無意識の危機感からだ。