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“そう”なってしまった

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※個人情報にあたる部分は内容を変えています。

ここ最近、僕はあまりにも気分がいい。

時を遡って去年末、僕は食欲がなく体重減少を気にしていた。それは1ヶ月に2kg程度の(自分としては)ゆるやかな減少ではあったが、セルフネグレクトで何も食べる気も起きず生命維持が危うくなる可能性までをも考えるほどにほぼ常に“痩せへの懸念”というものが僕の頭の片隅に住み着いていたのだ。数ヶ月の間はあらゆることにドーパミンやアドレナリンが出ずにほとんど毎日ベッドに横たわっては漫然とSNSに流れる情報を理解するでもなく眺める日が続いた。更にはこんな僕でさえも雇ってくれる職場に無理を言って全て在宅ワークに切り替えてもらい、うち何度かをさらに無理を言って休みにしてもらうなど罪悪感でどこかの内臓が弾けてもおかしくないような状態で無を過ごした。
原因のはっきりとしない漠然としたストレスから体臭も普段より酷くなり、寝返りをする度に最悪な臭いが鼻を掠めて死を想う。家族がいなければこのまま餓死をして体液が溶け出し僕はシーツと融合してしまうのだろう……。ぼんやりとそんなことを考えるも、自己虐待を積み重ねるほどに込み上げる“時間だけでは解決しないような不満”さえも上手く言語化できず、インターネットにおいて消費者側に回ってしまった自分を嘲ることさえもやめ、あの時の僕はただただ虚無──もしくは“苦”そのもの──を感じていた。
振り返るまでもなくあの時の僕は確実に鬱だったし、あの状態から少しでも元気が出れば負の感情から公共の場でハサミを振り回すものだろうと本気で人生を棒に振らんとする気持ちでいっぱいだった。(実際に刃物の購入までは行ったしあれが続けば実行に移していたものと思う。当時も宛メでそのことについてみぃのとして小瓶を流したが、今と発言が540°は違っている)

ところが一転、年が明けて数日経った僕は食事も黙読も運動も思考も全てが楽しく感じるようになってしまった。
1食3杯のご飯を平らげ、1日3冊の小説を読み、1日3時間放浪し、1日3個以上は楽しいことがあると感じられるようになった。喜怒哀楽もはっきりと示し、他者への影響を考えずに向こう見ずな行動を取っては周囲の人間を困惑させている。おまけに罪悪感もなく代わりに理由のない全能感に溢れていて、僕は瞬く間に外向的な人間という概念に自我を乗っ取られてしまった。
年末の自分と比べるとこれら行動は明らかに別人のものであり、有り得ない変化と断言しても差し支えない気がする。最初こそ「明日になればまた気が沈んでいるのだろう」と期待をせず過ごしてみたが、何度朝を迎えても、それどころか寝ずに2日目3日目を迎えても、一向に元気はなくならなかった。

「“そう”か」
僕は不意に駄洒落のようなことを思い出す。双極性障害。いわゆる躁鬱と言われているものである。具体的な診断基準などは割愛するとして、この場では元気がある時期とない時期が数ヶ月〜数年おきに切り替わるものと理解してくれればいい。
いきなりの話になるのだが、僕は月に2回ほどの頻度で精神科に通っており、通院の度に近況を紙媒体で報告している。具体的な内容と言えばどのくらい眠れているだとかご飯は食べられているかだとか──例えるなら実家の母親から久しぶりに連絡が来て聞かれるようなこと──を毎回律儀に記載しているのだ。
僕はそれらから何か手掛かりになることがあるのではないかとその紙を元気故の行動力で夜明けにガサゴソと部屋を漁って引っ張り出し、元気の有無について書かれている項目を見た。

結果としては、良くも悪くもしっかりと感触があった。紙束を読むと半年前は今ほどではないが行動力に満ち溢れていたらしいことが分かったのだ。
思い返せば今の職場もその時に誰にも相談することなく突然面接を申し込んだのだった。職場にはいい迷惑だろうが今自分に職があるのも当時の衝動のおかげであると言えるだろう。さて話が逸れてしまったが、精神疾患持ちの申し出、殊に自分のような人間の熱弁は事実と異なる場合があるため実際の診断については医者に一任するにしても双極性障害のエピソードとしてはこれ以上ないものな気がする。

……ただ、“そう”なってしまったと理解しても僕に出来ることはあまり多くはない。幸いにして前回の通院で双極性障害にも適応のある薬を毎日飲むよう処方されたので双極性障害であったとしてもなかったとしてもそれを飲むくらいはできるし、躁病エピソードを頭に刷り込んでは自分の行動と照らし合わせて異常性を認識することもできるが逆に言えば今は本当にその程度しか出来ることはないのだ。しいて言うのであれば諸症状を自覚して精神科医に提出する文章にこれまでの記録を書き加えることはできるだろうが、それも通院の日までは何の効果も発揮しない。無理に冷静になって他者への悪影響を省みて“どうせ繰り返す意味のない反省ごっこ”をするのは悪手であるし、ここからまた鬱へと落ちて全てに疲れて過ごすのを想像するのもどうにも気分が乗らない。今はひたすらに自分の気分がいいことを自覚して気分がいいと言い続けることが無害で最善であるように思える。

ここ数週間の僕はあまりにも気分がいい。医者に言いたいから言おうとしているくらいに気分がいい。睡眠薬と弱い抗うつ剤以外何も飲まずして気分がいい。なんなら睡眠なんて不要に思える。どこまででも歩いていける。僕は鬱のときとは違う意味で今は何をしでかすかわからない。でも気分がいいからそれでもいい気がする。明日も通院の日までもその先までもきっと僕は気分がいい。薬遊びなんてなくたって僕は楽しくやれる。躁転から物事の焦点が変わる。僕は狂っているが気分がいいから問題ない。躁転で昇天しても気分がいいままの死ならきっと楽しいから問題ない。

通院の日、医者は僕の訴えをどのように聞くだろうか。
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