60160877。風が強く、空は青い。ベランダのトタン板が半分ほど何処かへ吹き飛ばされてしまいましたが、雨や雪さえ降らなければ日当たりが良く温かい、そんなことをぼんやりと考えて予定の無い休みの日はリサの隣で窓辺をごろごろしています。昔のことをあれこれとジメジメ思い返している時は、何もやる気が起きず、気が付けば夕暮れ時。そうしている内に日付を跨いだりもします。
自分の人間性に就いてこれまで何かとぶっ飛んでいると言われて来ましたけれども、この頃は、そんな傾向もなりを潜めつつあり、友人からは随分と変わったと逆に心配されるくらいのものですが、正直、中身はあまり変わっていないと思います。
大学に進学してからというもの、私はこれまでとは少しやり方を変えて、もっと己の内側の部分を見つめようとすることが増えました。それまでは生きるということが如何にも息苦しく、色々のことを試してきましたが、もう環境を変えるのは程々に留めておいて、今後は自分を変えようと思ったわけです。
それは大学1回生の秋のことでしたが、気まぐれにやっていたアルバイトで同い年の人と知り合いました。私のアルバイトは通日(24時間)の警備業務で、一日中同じ現場で立哨や巡回をするというものでした。警備業には様々の属性を持つ人が携わっていますが、他人と交流を好むタイプの人は少ないように思えましたし、少なくとも私の配備された現場では、大学生の年頃の人は私達以外には居なかったと記憶しております。
こういった次第で拘束時間も長く、時間を潰す為には話し相手が欲しくなります。学校は違うのですが、同じく学生ということもあり、私達はすぐに打ち解けました。お互いに人見知りをしない性格でもありましたし、彼も読書が好きだったこともあり、話題には困らなかったのです。バイト帰りに二人でご飯を食べに行ったり、買い物をしに行きました。帰りも途中まで路線が同じで、彼が先に降り、私はしばらく電車に揺られるといった感じでした。
そのバイトに就いては、大学との兼ね合いもあり長くは続けませんでした。せいぜい半年くらいの期間です。最後の勤務が年末のとあるオフィスビル警備の応援要員でした。正月手当が出るという誘い文句もあり、基本的に時間の融通が効く私と彼が同じシフトで勤務することになりました。
簡単な現場での業務の説明を聞いてから、私達は一日中、二人で立哨や巡回をしていました。足の指先の感覚が無くなるような寒い日のことです。少し前に、バイトを辞めると彼には伝えてありましたが、それならお互いの休みの日に出かけようなんて話していました。そこは実に立派な作りのビルで、地下には工場があり、上にはジムだとか温水プールが福利厚生として設けられていました。従って仮眠室も立派です。二段ベッドの上に私が、彼は下に寝転びながら、合宿を思い出すなぁとか言っている内に私は眠っていました。
低血圧なもので、アラームが鳴ってもうだうだしていると、彼に布団を引き剥がされる。身支度を整えて夜明けの巡回に向かいました。そこは周辺のビル群よりも背が高かったので、屋上からは富士山が見えるのだと常勤の人が言っていたのを思い出します。私達は屋上から初日の出を見よう、と決めて業務の時間配分を調整していたのですが、思惑通りに丁度、屋上に出たところで太陽がビルの合間から昇って来るのが見えました。その時、朝陽に染まる富士山を白い息を吐きながら眺めていたことを覚えています。
それからの私達は、お互いに予定の合う日には古本屋を巡ったり、気まぐれに落語を見るようになっていました。冬が終わる前には彼も警備のバイトを辞めていました。
身だしなみの規定がある仕事でしたので、二人とも出会った時とは見た目が変わります。私は髭を蓄えて、彼は髪を伸ばすようになりました。元々長めの髪を結ってまとめていました――制帽を被れば見えないから良いんだと言っていました――が、2回生の梅雨に入る頃には緩くウェーブの掛かる髪が肩に掛かる程になっていました。髪が伸びるのがやけに早いと私がからかっていたのを何となく覚えています。私が気になったのはその色味で、普通の黒ではなくて、もっと深い色味と言いますか、僅かに青みがかったトーンをしていたのです。彼曰く、一番好きな色なのだと言っていました。彼は日を追うごとに綺麗になって行くように思われました。端から見て、美容に気を使っている人だと分かるくらいには。街中で待ち合わせをしていると、遠目に見てえらい美人だなぁ、とよく思っていました。
私達は生まれた月が年の前半でしたので、成人してからはすぐにお酒も煙草も始めました。私は学内でアルバイトを始め、彼は単発バイトで小遣いを稼いでいると言っていました。
茹だるような暑さの夏が始まった頃、私達は暇潰しに古書街の辺りをうろうろしていて、書店をぶらついたり映画を見たりして、駅前の喫煙所のベンチに腰を下ろしました。街路樹から落ちて来る蝉の鳴き声と、車と電車の行き交う音が混じり合って、蜃気楼でも見えて来そうな熱気にうんざりしていました。それじゃあ、今日はそろそろお開きという感じになりそうな時、私は彼に引き留められました。
一杯飲んで行こうということで、私もその誘いに乗りました。そうして、居酒屋の隅の個室に入り、だらだらと駄弁っていました。何か変な感じというか、いつもと様子が違う気がしていたのですが、ふとした会話の切れ間に彼から好意を伝えられたわけです。自分に何かしらの後ろめたさがある時――別にそんな必要はないと思うのですが――誰かに心の内を打ち明けるのは、やはり勇気のいることなのでしょうか。私は一先ず彼をなだめて、その後、酔っている時の勢いとでも言えば良いのか、私達はそのままホテルに入っていました。或る友人は私のことを人間の屑と呼んでいます。心の繋がりや機微が実感出来ず、結局、即物的な行為でしか気持ちを示すことが出来ないという頭で生きているから、そんなことを言われるのだと思います。
私は同性との経験が無かったのですが、彼は初めてではないようでした。それに就いて、あまり多くのことを話しはしませんでしたが、別に気にもしませんでした。私はいつの間にか眠ってしまっていて、気が付くと夜明けでした。彼は先に起きていて、椅子に腰掛けて物憂げそうに煙草に火をつけていました。ベッドから出て、私も紙巻きを咥えて、火をくれと言いました。ライターを差し出されましたが、私はその手を掴みながら、彼を引き寄せて、彼の咥えているタバコから火を付けました。彼は言葉に詰まって、呆れているような目を私に向けました。まあ、私は大体そんな感じの人間です。
彼は自分の性別に違和感を持っていて、自分を女性として捉え、恋愛対象は男性という訳でした。昔の友人の影響だとは思うのですが、私はあまり相手の属性に頓着しないので、彼とは自然にそんな関係になったのだと思います。
私は幸福という言葉が今一つ実感出来ずにいるのですが、あの時代は幸せと言うに値するのかもしれません。彼と連れ立って街歩きをするのは楽しかった。単純に人として尊敬していました。困っている様子の人が居ると声を掛けに行くような人でした。人の欠点でなく、美点を見つける努力が大切なのだと言っていました。
併し、踏み外すのは一歩目とは限らず、あれは冬の始まりくらい頃のことで、彼の様子が徐々に変わって行っているような気がしていました。元気が無さそうなことが増え、上の空のような感じが続いていました。私がそれとなく訳を聞いてみても、彼はいつもの調子で何でもないと言います。
私は大学の方で些か慌ただしく、少しの間、彼に連絡をしていなかったのですが、或る時、彼がちょっとお茶しようと私を誘いました。その時、彼が金に困っていると言い出しました。私は特に迷うことも無く渡しました。意外と実入りの良いバイトでしたし、そんなに支出も無かったこともあり、別に貸すまでも無く、彼にならあげてしまうつもりでした。彼はなるべく早く返すと言って、申し訳なさそうにしていましたが、私が気にするなと背中を叩くと、以前のようににっこりと笑いました。夕暮れ時の人混みを歩いていると、あの後姿を思い起すことがあります。誰かを思い出して、寂しいだとか言うのは嫌なのですが、夕日の光って別れの色をしています。
彼に会ったのはこれが最後で、慌ただしさにかまけて自分のことばかりをやっている内に、LINEやインスタのアカウントがいつの間にか消えていました。遊ぶ時はいつも外でしたから、お互いの家に行ったことも無い。彼の通っていた大学や学部のことは知っていましたが、別にそれだけのことでした。何かを知りたいとも思いませんでした。
今でも偶にお酒を飲みに行くゼミの同級生に、当時、ガールズバーで働いていた女性が居ましたけれど、彼女は段々と大学に顔を出さないようになり、最終的には自主退学していました。その後に会った時、彼女は別の店で働いていましたが、実入りが良くて講義が面倒になった(テヘペロ♪)みたいなことを言っていました。素行はともかくとして、からっとした性格の女性でしたので、私は彼のことを一部だけ話してみました。二人とも感覚的なところで生きている部分が多くありますので、彼女が何を言いたいのかは何となく察しましたが、それはもはやどうでも良いことでした。軽く私の性分をたしなめた後は、終始慰めてくれました。彼女の言葉は私を幾らか癒しましたが、自分の虚ろを浮き彫りにもしました。
色々のことを思い返します。実のところ、私はその関係がそう遠くない内に終わるものだと感じていたのではないか。彼は私の気持ちに気づいていたのではないか。そうだとすれば、どれだけ彼を傷付けただろうか。ただし、残った事実以外には意味がなく、私は別に泣いたわけでもなく、後悔をしたわけでもないのだと思います。子供の頃に、戯れに虫の首を捥いだことを何となく思い出しました。
彼が居なくなってすぐに年の瀬を迎え、それから先は研究活動に打ち込むようになりました。自分は何も感じず、望むだけ前進出来るというような気持ちがあった――というよりも、そうでありたかったのだと思います。望むままに生きる為には、身体的であれ精神的であれ、強靭であることが全てだと思っていました。まあ、私も単なる脆い人間だったわけで、限界はあったのですが。
夜明け前の黒い青を見ると、何となくあの髪のトーンを思い出します。朝日を受けて透き通るように白く見えた彼の横顔が懐かしい。過ぎ去って、おぼろげになった出来事からはもう、虚しさと肌に感じた温もりを幽かに思い起こすばかりで、思い出は思い出のまま、美しく風化してゆくにまかせていたい。魔法の杖があったら何を願いますか、そんな質問を私の好きなアーティストに投げかけた記者がいました。返って来た答えは、お前の××の穴に突っ込むというものでしたけれど、私が願うことがあるとすれば、夜明けと共に塵になって消えたい。自分を顧みることを忘れ去って、そんな気分に浸っていたい時もあります。
――だけどもだけども、毎日は続いて行きますので、幾らでも待ちます。今日の深夜筋トレは背筋を強化します!!! 深夜に開いてるプールとか無いすかねぇ、絶対に気持ち良いと思うんすよね。都心ならもしかすればあるかもしれませんが。……何故、プールの水が青いか知っていますか?それはタイルが青いからです。うふふ。
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項