前職で知り合ったプロジェクト・マネージャーのB氏。
海外に移住するというので、送別会に参加してきた。
30代後半、ぱりっぱりの独身。
彼はいわゆる非婚主義者の一人だ。
私はそのことをプロジェクトの懇親会の席で知った。
・ヒト、モノ、カネを上手く動かし
・期限厳守で
・クライアントの期待に見合う品質の成果物を納品する
というのが、プロジェクト・マネジメントの目標。
そして、
「家庭の運営は、プロジェクト・マネジメントそのもの」
というのが、B氏の持論。曰く:
ヒト=家族の構成員
モノ=衣食住関連リソースのすべて
カネ=収入、資産
・これらを上手く動かし
・家族構成員各々のライフステージのマイルストンを睨みつつ
・各自が目指す幸福を実現する
これが、家庭運営の目標。
これを踏まえて、B氏がなぜ非婚主義者なのかというと、
「こんなプロジェクトのマネジメントは無理ゲーだから」
だそうだ。
一番の無理ゲー要素は、
「プロジェクトメンバーの入れ替えが出来ないこと」
通常のプロジェクトでは、
「成果を出せない」
などという結末は許されない。
許容できるのは、
「プロジェクトは成功しました」
という結果だけ。
だから、結果を出す上で邪魔になる要素は、変更するか、排除する。
例えば、足引っ張りになるメンバーがいれば、情け容赦なく入れ替える。
重要度で言えば:
成功>ヒト
なわけだ。
家庭の運営というプロジェクトでは、この手が使えない。
従って、プロジェクトが成功するのは、
「ベストメンバーがたまたま集まり、数十年の間それを維持できた場合」
に限られ、成功要因のうち、運が占める割合があまりにも大きい。
「プロジェクトの難易度」と「自分の能力」の兼ね合い。
これをきっちり評価できる人たちがプロマネだ。
だからなのか、この勤め先のプロマネ部は、他部門と比べて独身比率がかなり高かった。
難易度が高く自分の能力を超えるプロジェクトに手を出すと、成果を出せず失敗する。
失敗すれば、責任を追及される。ペナルティを科される。
会社のプロジェクトなら、ペナルティと言っても、せいぜい左遷や減俸程度で済む。
左遷が理不尽と思えば、転職して敗者復活戦に挑むこともできよう。
家庭の運営で失敗すれば、ペナルティはそんなものでは済まない。
チームメンバーによる暴言暴力、ストレス過多による心身の健康の喪失。
賠償、弁償、成果が出るかどうか不明なものへの先行投資による経済的な損失。
先行き不安、逃げ場のない絶望、孤立感からの自我崩壊。
文字通り、全てを失う。左遷どころではない。
状況次第では、命さえ失う。
ずば抜けて判断力に秀でたプロマネ部のメンバーが、家庭運営特有のこうした特徴を見て、
「取り組み甲斐がない無理ゲープロジェクト」
と見做すのは、当然かもしれない。
「日本の家庭の7割は機能不全」
とどこかで読んだが、無理もない。
プロジェクト・マネジメント部というのは、私が知る限りでは、生え抜き中の生え抜きが集まる部署だ。
稼ぐ部門の代表格で、営業部と並んで組織の屋台骨、会社の花形部門。
当然、新卒未経験者が配属になることはない。
プロジェクトメンバーとして、かなりの経験と実績を積まなければ、お声がかかることはないし、異動願いも受理されない。
それだけ、経験、実力、実績が要求される立場だ。
家庭の運営というプロジェクトに、漫然と無自覚に手を出す人の一体何割が、プロマネレベルの采配能力を備えているというのか。
・新卒未経験者がいきなりプロマネ部に配属され
・困難なプロジェクトに闇雲に取り掛かり
・行き当たりばったりの無茶苦茶な運営をする
これが、大半の家庭運営で起こっていることだろう。
機能不全というのは、なるべくしてなっているというほかはない。
「家庭を持つという普通の幸せ」
などとよく人は言うけれど、家庭は持って終わりではない。
その後に運営する仕事がある。
そして、運営で躓けば、人生詰むレベルのペナルティの山が待ち受けている。
こんな仕事を、誰でも普通に出来ると思うなら、それは勘違いというものだ。
そして、もう一つ。
もっと根本的なところで、そもそも、プロジェクトチームの一員になること自体、万人にとって幸せとは限らない。
実際、私がそれだ。
新人時代はチームメンバーとして働いていた。
が、ある程度経験を積んだのち、”SME”=subject matter expertと呼ばれる専門を生かしたコンサル的ポジションへのキャリアパスを選んだ。
これは、特定のプロジェクトに所属せず、プロジェクト横断的に側面支援する役目だ。
サポートは好きでその能力もあるが、
・自分の裁量権が大きいことが大事で
・干渉と指図が大嫌い
という人間には、うってつけの仕事。
同じ理由で、私は家庭運営というプロジェクトのメンバーでいることが、性に合わない。
例えば、
「おもてなしとしての料理は好きだが、家事としての料理は嫌い」
ということ。
お料理大好き、お客様にそれをふるまうのも大好き。
実際、社員食堂もどきのものを自宅でやっていて:
・コリアン海鮮丼のフェトッパプ
・ベトナム料理のコースランチ
・冷製パスタランチセット
・深川めし定食
・サルティンボッカと石窯パンとスープのセット
などを同僚たちにご馳走していたこともある(デザート付き)。
これは、
・作るも作らないも完全に私の任意であり(自分の裁量権)
・誰からも指図や干渉を受けない(干渉と指図が大っ嫌い)
という条件がクリア出来ていたから、楽しめたのだ。
一方、「家事としての料理」はどうか。
疲れていて作りたくないときに、
「なぜ食事の支度が出来ていないのか」
と家族から干渉される。
「お腹空いた、早く作れ」
と、当然のように指図される。
家庭運営プロジェクトのチームメンバーとして組み込まれてしまうと、他のメンバーから
「ただで使える便利な労働力」
と見做され、あらゆる仕事が
「やって当然のこと」
とされる。
「やって当然のことをやらないのは怠慢、甘え」
などと断罪され、干渉と指図だらけの毎日になるのが既定路線だ。
従って、私は、家庭運営というプロジェクトにかかわると、
「自分の幸福を実現する」
という目的を達することが出来ない。
つまり、失敗することが確定しているプロジェクトというわけだ。
だから、このプロジェクトには手を出さない。
失敗するプロジェクトにつぎ込むリソースがもったいない。
時間、体力、才能。
どのリソースも無限にあるわけではない。
家庭運営という不向きなプロジェクトに、自分の限られたリソースを無駄遣いしたくない。
そういう意味でも、
「家庭の運営は誰にでも出来る」
という勘違いをしてはいけない。
その勘違いによって、幸せになる道を自ら閉ざすことになりかねない。
最近は、
「無理ゲーのプロジェクトだから」
という理由に加え、
「自分がプロジェクト・マネージャでは、チームメンバーがかわいそうだから」
という理由で、あっさりと非婚を選ぶ若い人が増えてきて、いい傾向だと思う。
仕事や趣味では、向いていないものに手を出さない選択がきちんとできるのに。
なぜか、「家庭運営」は例外で、向いていようがいまいが、自分の人生のグランドメニュー扱いする人が多い。
「向いていないものは選択しない。
仕事でも趣味でも、家庭運営でも」
これが当たり前になれば、何十年にも亘って苦しみを生き抜かざるを得ない人も、その分減るだろう。
運に恵まれず、あるいはプロマネの能力不足で機能不全家庭にしてしまったのに、運営から手を引けない親の立場の人も。
自分で手を挙げてプロジェクトに参加したわけでもないのに、機能不全家庭で生きることを強制されて苦しむ子どもの立場の人も。
仕事であれ人間関係であれ日々のご飯であれ。
何がどうなっていれば自分にとって最適なのか。
それは一人一人違う。
「チャーシューが載ってないラーメンなんて、全部載せじゃない!」
などという外野の干渉は華麗にスルー。
「半熟卵とネギと海苔があれば、私にとっては全部載せです。
チャーシュー食べると体調崩すんですよ。余計なお世話はノーサンキューです。
私のための全部載せなのですから、あなたの口出しは必要ありません。
あなたが口出ししていいのは、あなたの全部載せについてだけです」
と淡々と語って退けるべし。
自分専用にカスタマイズされたオリジナルの全部載せを追求する。
それこそが「幸せのレシピ」だと思う。
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
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