部屋を花々で埋めてみた。
L字型机の上だけ、ナウシカの地下室のように色んな種類の花々が花瓶に入って花を咲かせくれている
奥には垂れた緑の葉っぱの植木鉢、
正面にオレンジの光とそれを囲う瓶、瓶の中には光と共に青と紫のドライフラワー、
赤い、クリスマスレース用の小さいリンゴ、
手のひらサイズのコンクリートオブジェ、
一か月前までは元気に咲いていた白の花、松ぼっくりみたいなブルーの花、黒のバラ、
今までの花たちはすべてドライフラワーにしている
いずれも、自然と乾燥していったものだ
手を加えず完成した自然の遺留品とでも言おうか
どれも色がきれいに残っている
枯れているようには見えないくらい、不思議と今もその姿を保っている
このまま、私の机で好きに生きてくれたらと思う
そのままでいいと。
ここまで環境を整えるのにそこそこの時間やお金がかかった
花瓶は似たようなのばっかだし、花はそのうち枯れていく
でも全く後悔してない
最初は百均とはいえ、たくさんの瓶を買うことに抵抗や拒みがあった
こんな集めてどうすんだ?と
一時的なものにならないか?と
でも気づけば花を買っていた
花瓶もお金もないのに
初めて一人暮らしを始めて以前から興味があった花を手にした
一度だけ、飾ってみようって
そしたら次が欲しくなった
いやいや、お金ないじゃんって思った
でも気づけば見染めた花を手にしていた
必然的に入れ物が必要になった
食費やその他費用を削ってでも花がよかった
この止まらなさそうな欲に悩まされた結果、
自分の欲に従ったらどうなるか?と生活費をかけてやってみたが
案外 どうにでもなった
ここまでやって分かったこと
皆が推しに投資するように、
辛いことがあったら酒を飲むように、
気を晴らすためタバコを吸うように、
お腹すいたら飯を食うように、
眠くなったら寝るように、
それと同じで私は花なんじゃないかと。
無論、人に迷惑をかける金の扱いは肯定したくない
私が百均の瓶すら買うのを拒んでいたのは無駄遣いだと思っていたから。
花って特別な時しか必要としないものだと頭のどこかに刷り込まれていたような気がする。
子どもの時、買ってもらうと言われて思いつくのはスーパーのお菓子コーナーでの出来事で
花屋さんではなかった
決してそれが悪いと言いたいのではない。
言いたいのは生活の中で日常的に花は買うものではないと浸透していったんだろうと思った。
だってお菓子は今でも当たり前のように買う
用もないくせにコンビニで割高なお菓子を買いあさった経験なんてたくさんある
もし、お菓子ではなく花を日常的に買ってたらどうだっただろう?
おそらく、花ばっか買う人間になっただろうと私は思う
自分の中の当たり前をひっくり返した時、
もしかしたら好きなものがでてくるかもしれませんね、
そう言いたかった
かすかにどこかでやってみたかったこと、
一回実現したら案外、それが自分に浸透していった
もう今は花ばっか
私の左からは今もかすかに蜜の香りと、植物独特の青臭さが漂ってきている
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ななしさん
小瓶主さんの心に、植物の呼ぶ声が届いたのでしょうか
姿も色も香りも、小瓶主さんの心を和ませ、栄養になってくれる
いいですね
ななしさん
すてきなお部屋ですね。
わたしもナウシカの地下室のシーンすきですよ。
腐海の植物でもないので毒性の心配もないですね。
植物のお手入れや埃のケアなどが大変そうでわたしなどはようしませんが、きっとハナノメさんはそういうのも楽しめる人なのでしょう。
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