ななしさん
小瓶主さんの判断について、考えておりました。
私は、慣習によって育まれ施工された基礎の上に、築かれた自己の姿について、補修・修繕作業が、どの箇所に必要であるかをどれだけ認知できているかが、人間同士の接触・意思の疎通において、鍵となると思っております。
そして、スペックの違い。
互換性が無いばかりに、どれだけ言葉を紡いでも、繋がる事のない状況というものは有るかもしれないけれど、知識と教養を上げて、型を選ばず、左右される事なく、言葉が通ずる状態にと努める姿勢をなるたけ忘れたくはない。
そう思ってまいりました。私は、すぐに忘れてしまう横着者なので、いつも失敗してから気付きます。私の知らない事を教え、感じさせて下さる方々に感謝です。
人様との遣り取りに於いて、『鍵』と『型』を胸に、言葉を紡ぐテーブルにつこうと試みる際、稀に、起因の不可解な回線障害を起こす方や、脳内の容量超過により、言語の走行異常をきたしシステム障害を引き起こす方に微笑みかけられる事もあるので、信用を構築出来ていない間柄の方に対し、一定以上の接触と不具合の対応は無理と、無意識に避けております。
小瓶主の文言。
〉『考え方が根本的に違うのに、それでも話し合いを続けようとすると逆に亀裂が生じ取り返しがつかなくなる。
どうしても合わないと感じたら、さっさと話を切り上げるなり離れるなりすることも大切。』
この言葉を読み返し、妙に納得し、無意識の振る舞いと感情が、自身にとって必要なセキュリティーであった事実を改めて感じました。
共感いたしました。
おばあ