34520小瓶で原点に帰ることができた。
オレが宛メで語ってきた愛は
32836小瓶で論争を巻き起こしてしまった。
愛は人によって捉え方が違う。
愛は奥深いもので語るものではないという考えの方もいる。
それでもやっぱりオレは愛は語って良いものだと思っている。
今回は、そう思う訳をなるべく詳細に書いてみる。
まず最初にオレにとっての愛を明記してみる。
オレは『愛=存在』と考えている。
その理由について述べる。
高校3年間いじめられて辛かった時、毎日小さな幸せ探しをしていた。
心が傷つけば傷つくほどに、普段全く気にも留めないことにも幸せを感じるようになった。
例えば、道に転がっている石ころを見れば、その石ころがあることに幸せを感じた。
その時間、その場所に、この形の石ころが存在していることに気づく。
特別な形をしているわけでもない、ありふれた、ただの石ころ。
その存在に気づけたこと、その存在を意識できたこと、その存在に思いを馳せることができたこと。
これらのことから幸せを感じた。
石ころだけではなく、草や木、風、日の光、建物、人、動物、空、など挙げればキリがないが、様々な事から幸せを感じた。
小さな幸せは傷ついた心に力を与えてくれた。
オレにとって世界を感じることは生きる力を感じること、それは今も変わらない。
そして、宛メと出会い、心について
30498小瓶の考えに行き着いた。
高校時代のいじめはエスカレートして行き、友達だと思っていた奴もいじめに加わり、その辛さから心の強さについて考えた。
心の奥底から浮かび上がってきた答えが愛だった。
愛って何だ…。
愛について考えるも明確な答えが出ない日々が続く。
愛は幸せを感じるもの。
そう考えてわかった。
小さな幸せ探し、これこそが愛なんだと、様々な存在を感じ、世界を感じ、心を温かく満たす。これが愛なんだと気づいた。
だから、オレにとっての愛は特別なものでも、奥深いものでもなく、ごく身近に常に存在しているもの。
幸せを感じるもの全てが愛。
だから、当たり前に存在するものを当たり前に語るだけ。
オレにとっては奥深い意味はないので、深い意味を持たせることもなければ、安売りするわけでもなく、ただありのままを語るだけ。
尤もこんな風に語れるのはネットだけではあるが…。
オレが愛について語ったことで誤解や不快感を与えてしまった皆さん、本当にすみませんでした。
オレはこれからもオレにとっての愛を貫きます。
貫きますが、皆さんからご指摘を受けた件について改善するべきところは改善していきます。
この小瓶は、オレがオレらしくあるための決意表明のようなものなのですが、お返事がありましたらなるべくお答えしていけたらと思います。
ベル