少々オチもないような昔話をば。
お返事はきっと書きづらいであろうから、暇な人は読んでくれるだけすればよいと思う。
何年前か。
確か私はその頃中学三年生のはずだ。
前提として、中学のとき私が所属していた部活は、父が外部コーチをしていた。
顧問は、天然で絵が苦手な、二十代後半くらいの女の先生が二年生の頃から担当していた。
とある日のことだ。
父に頼まれて、父の携帯で父の知人にメールを作っていたとき、ふと受信ボックスを見ると先生の名前があった。
先生の名前がずらり、というわけではなく、先生5割、母3割、当時携帯を持ったばかりの兄が2割。
試合についての連絡でもしているのかと、何の気なしに受信ボックスを開いた。
「は~い!頑張って治します(*^^*)大好きでーす♪」
今であれば一瞬ですべてを理解するであろう、受信ボックスの一番上にあったメール。
しかし中学三年生の私は、
「あぁ、そういや風邪ひいてたもんな先生。父はお見舞い代わりのメールでも送ったのだろう。でも大好きってなんだろう。おかゆとか体調不良にいい食べ物の話?」
などと思って特に気にしなかった。
それから2週間ほど経った頃。
また父に頼まれてメールを作っていたとき、ふと先生から来ていたメールを思い出し、なんとなくまた受信ボックスを開いた。
ボックスの上から3つほどは、母から送られたものだった。
「仕事が終わったらまっすぐ中学校に向かって、そんなに○○先生(顧問の先生)が好きですか?」
「中学生に失礼だと思わないのですか?こっちはもう知っていますが、もしも中学生にバレたの場合の●●(私)の立場を考えたことありますか?」
「なにも気づいてないと思っていたの?」
バカな私も、そこでようやく理解した。
しかし理解したところで何をするわけでもなく、ただいつも通りの生活をしていた。
能面のような表情で父の携帯を見ている母を見かけたこともあったが、気づかないふりをして何も聞かなかった。
ただ、父と母の両方がいる空間では、きりきりと胃が痛むようになった。これは今でも。
先生はその年にもう退任し(もしかしたらこの件が一枚噛んでいるのかもしれないけど、私にはわからない)、私たち家族との接点も完全に消えた。
携帯を覗き見る母の姿も見なくなったので、先生と父の関係が切れた時期は何となく察した。
あれからもうすぐ6年経つが、この話は誰にもしたことがない。
しようと思ったこともない。
ならばなぜこの小瓶を流そうと思ったのか。
たぶん、この胃の痛みを治したかったからだと思う。
独り暮らしをしている今も、時折思い出して痛む胃を何とかしたかったのだと思う。
この小瓶が波間に消えていっても、私の心にはあのメールの文面が一字一句褪せずに突き刺さり続けるのだと思う。
ただ誰かに聞いてほしかっただけ。
それだけなんです。