友人、と呼んでもいいのだろうか。
私の 大勢の イマジナリーフレンドたちへ。
もはや舞台は異世界なので、こちらの話をするのもためらわれるのだが。
近頃思う。なぜあなたたちは、苦しみ続けなければいけないのかと。
平和なせかいで、誰かと普通になかよくなって、冗談を言い合って、恋をしても良いではないか。
家族がいて、親に愛されて、ぬくもりのなかで生きても良いではないか。
幼いころ、自分自身のつらさに輪をかけて、壮絶な日々を
強く、淡々と または詩的に生きていた「頭のなかのお兄さんたち」。
その中の誰よりも、今は私が年上だ。
昨日 夢に現れた、きみを なぜだか分からない、思わず抱きしめた。
私は宗教が嫌いだが、きみが信心深いことは知っている。
信仰に苦しめられた末、すべてを見限った私と
同じ苦しめられた末、それでも人知れず信じ続けているきみ。
少し泣いているように見えた。普段のきみからは想像もつかない、小さくて、たどたどしくて、まるで幼いころの私のようだった。
昔、君たちのせかいで起こっていたのと同じことが、こちらの世界でも起こっている。
あの頃、ありとあらゆる本を読んだ。どうしたらいいのか必死で考えた。
でも、未だに答えは出ない。
深刻な現実だけが目の前にあって、苦しんでいる人たちが大勢いて。
今ここに生きている私は、微力であっても考え続けるつもりだ。
ただ、それとは別に。
君たち「頭のなかのお兄さんたち」に、私は自分自身の欠片をみるようになった。
人間であれ、鳥獣であれ、異星人であれ。その心のなかに、自分の欠片が確実に存在している。
驚くほど冷え切ったかたちで、君たちひとりひとりに映し出されている。
それを浮かせないために環境が、明るくも安全でもなく、救いもないようにすら思える。
「愛してるって言ってみろ」
と、君たちの中の一人が他の一人を惨殺したことが、あった。
その夢をみたとき私は、自分はそういう趣味なのかと思った。
その時期、強い殺人願望に悩まされていたからだ。
友達にその夢を笑い話で相談すると、それがヤンデレだと教えてくれた。
だが、調べてもピンと来ずそのままになっていた。
少し成長して、昔ほど不安定じゃなくなった今、自分の課題に向き合おうとしている。
しかし あまりにも長い間、閉じ込めすぎて何も見えて来ないのが現状だ。
そしてふと浮かんできたのが、君たちを大事に思ってみたいという、現実的とはほど遠いものだった。
空想世界にこの年で浸るのは、かなり抵抗があるし、時間も限られている。可能なのは睡眠前くらいだろう。
しかも、今まで散々な目に合っているのを傍観してきたわけだ。
それを今さら。自分と向き合いたいなどという都合の良い理由で。
許されるのだろうか。
すべては自分のなかで起こっているのだから、許すもなにもないのは分かっているのだが、それでも。
昨夜の夢。きみが消える瞬間の 弱いぬくもりが肌から消えない。