監視されている様な気がする。誰かに。第三者が介入しているような。そんな感じ。
家族…だとは思いたくないけれど、あからさまに言動が怪しい。
でも私が一番気付かない存在だとしたら、それは間違いなく家族だと思う。友達とはほぼ絶縁したし、親しい間柄はいないと言っていい。
出来るとしたら家族位しか思い当たらない。単なる気のせいで「監視されている」とまで、厳密に気付くものだろうか。
「人の視線が気になる」なら気のせいだけれど、確信を持って「監視されている」実感がある。
宗教の言う「神様」も結局は人の目(信者による監視)だった。
知らない方がいいのは何なのか、それを何故隠しているのか、それはまともに言って理解できないと分かっていながら行われているのか。
もしされているならば、理由は分からない。心当たりも無い。多分、相手にしか分からない理由で監視されているのだろう。
今のカメラは超小型で探しても分からない様になっているらしい。
きっとこちらから探せばその行為を正当化して来るのだろう、とうに犯罪じゃないんだろうか。
思春期の自意識だと思っていた事が、まだ止まない。あったよそう言う事って方いましたらお返事下さい。
ななしさん
生きるということは誰かと関わることでもあるので互いにウォッチングしあっているのかもしれない。
監視をされているとまでは言えないかもしれないけれど、私もそう思えるというか例えられるような出来事があったよ。
実際に睨みつけられたり悪口言われたり家族から口うるさく言われたりとかあるもの。それも監視といえば監視だよね。カメラが付いてなくてもさ。
嫌な視線というか、煩わしい注意というか、そういうのもやっぱり実際にあるよ……でもね、そういうのって、気にしたり不快がってるとキリなくてさ、存在そのものの宿命みたいなところあるし。
だからって干渉されるのを我慢しろってんじゃないけど互いに適当さが大切で、上手くスルーしたり躱せるようになるといいのかもね。
こういうことを気にする意識が悪い方向に拡大されちゃって狂気的になってくると統合失調症とかって名付けられちゃうんじゃないかなあ。
人々の視線には、本当に色々なものがあるね。優しい視線や静かな視線や熱い視線や無関心な視線もある。
世間話だって噂話だって下世話なお節介だってネットのあらゆるお喋りだって良くあること、けっこう当たり前で人々はコミュニケーションしあっているんだ。
そう思ったら気楽になれないかな。犯罪っていうかいくらかは日常のなかでのお互いの一面だったりもするのかも。
世界を覗くとき世界からも覗かれているだけなのかもね。
それに、本当にカメラが仕掛けられてるってことも現実の事件としてなくはないから……ニュースとかで実際にあること証明されてるじゃない、今の時代そういうのが昔より容易になってるみたいだしね。
全てを精神病で片付けられる人々もある意味で物を知らないというか自分は無関係だと思ってて盲目だよね。
でも、そういう方がこの世界では生きやすいし平気でいられるのかもしれない。
思うよりも怖いことじゃないんだ良くあることさ、こういうことをちゃんと人々が自覚していないことのほうがホラーかもしれない。