ななしさん
アダムとイブのようにまっぱが子どもの心なんだろうな(笑)
けど、年を重ねていくうちにいろんなことを知って恥ずかしいという気持ちが大きくなる。
いっぱい服で覆ってさ(十二単着込んでるのもいるぞ?)
それでも不安でしょうがなくてさ。
そんな大人の何処が立派なんだろうね…
まぁ、知性という果実を食べ続けてなきゃ人間は生きられないから、無垢と羞恥心の引き換えは避けられないのだろうけれど。
どうしてこうなった私ってテーマはきっと大人の誰にでもある課題だと思うんだ。
ンー言いたいことが纏まらなくてごめんなさい。
得るものと引き換えに失うものもあるってことかなぁ。
けして、それが悪いってわけじゃないと思うんだ。
例えるなら、お金で好きなものを買う売買に近いのかもしれないね。
知性という魅惑の商品にはも・れ・な・く・悩みという付録が付いてくる(笑)
ななしさん
悪くなってるというか、あれじゃね?
昔は色んなことを知らなかったから良かったんじゃね。
そんだら、年取って経験積んで、色んなことを知った今それが出来るとは言えない。
今出来ることをしろ、今あることに目を向けろ、ってんじゃないが、今しかできない性格の良さもあるんじゃないかね。
今と昔じゃ、まあ方向性は似たり寄ったりかもしれんが見えてる立派な大人の姿も違うだろう。
昔と今は違うけど、今思う昔あった良さの中にも、今なら出来るものや今でも出来てるものだって多分あるだろうさ。
悪くなったというより、視野が広がって、良いっていうのも広がって、自分と立派なものの間に差があることを、今の位置から知ったんじゃね?
その立ち位置から昔の良い自分が今でも通用するか?って感じじゃねーんかな。
だったらこうなったも何も、これからじゃねーの。