今日、傷付いた君へ。
自分を支えてくれる、心は潰れていませんか?
明日へ向かう、翼は折れていませんか?
自分を奮い立たせる、瞳の光りは消えてませんか?
一人ぼっちでも、手足が吹き飛んでも、君の行くべき道を示してくれるプライドは砕けてはいませんか?
君にいつもエネルギーをくれる、愛はひび割れていませんか?
傷付く事を恐れて何もしなければ、大切な失望や絶望を失ってしまう。
今日、傷付いた人は失望し、絶望を抱いたはず。
失望や絶望は、何かを試みた者しか、持つ事を許されない。
だから、絶望や失望は君の生きている証しなんだよ。
希望は何もしない者も、持つ事を許されている。
しかし、何もしない者が希望を持つと、希望がエゴや欲望に変わる。
何かを試みて傷付いた君、そんな君の希望は希望のままだ。
今日の痛みは、君の歩いた足跡さ。
深い絶望は、深く食い込む足跡になる。
ななしさん
【小瓶主さんからお返事きたよ】
小瓶主です。
一通目様、有り難う御座います。
君が見ている視界に映し出されているのは社会ですね。
目に見えるものと現実、何が違うのか?
シカイに無くて、シャカイに有るもの。
そう、小さいヤ、漢字では邪(や・じゃ)が、隠れている。
意味は、よこしま、腹黒とか悪意とか人に害するもの。
見た目には捉える事が出来ないが、本当は人を陥れる罠があるのが、社会なんだ。
だから人は傷付き、癒されない痛みを毎日感じてしまう。
だから辛い。
爪が剥がれた様な痛みが来て、その傷が癒えないうちに、また新しい腕が折れた様な痛みに襲われる。
それが繰り返される。
癒える暇が無いよね。
でも、前の痛みは次の痛みに消され痛さだけが残るから、癒されてはいないと思ってしまうけど、
よく見ると、前の傷は癒えているんだよ。
右手が動かなかったら、左手が強くなり右手を補う。
君の折れた右翼は、明日動き始めるか、左翼が補うだろう。
必ず、新しい明日に飛んで行ける。
そこで、私は待っています。
いつまでも、いつまでも、君が来るまで。
長文で済みませんでした。