*以下、恋愛系の小瓶じゃないです。
人間関係全般、広い意味のものです。
恋愛系も、人間関係の一部と言えばそれまでなんだけどね。
(ま、違いますわ)
+++++++++++++++
(さよならをするために)
あのころはよかった、の
あの頃なんか、別にない。
物心ついた時から、こんなだったから。
帰る場所はない。
そんな人だっている、ここにいるんだから。
美しい笑顔をもらった。
わたしだけにくれる。
手にすると、手放したくなくて
ギュッと抱え込んでしまう。
それは、その人から、不機嫌や、陰気な面を出すことを
取り上げる行為。
いつもご機嫌でいて、私の目の前では。
あなたが私を嫌う目を、不信感を
不愉快と不機嫌、不快感を露わにされる事、
わたしは皿に盛られることすら拒否してきた。
目を逸らしてきた。
まだ、その癖は抜けない。
でも少しずつ、気づいているから
わたしは、足踏みしても、やめることだけはやめない。
わたしも、どこにでもいる人間の一人だというのなら
その人間なりのやさしさはきっとあるのだと思う。
なぜうまく出せなかったのかと言えば
私自身が、私の不快感情の存在を許可して来なかったからだ。
生きることは、たのしくて、うきうきしてわくわくして
身の丈に収まるくらいのセンチメンタルがあって
予定調和を嫌いながらも、その外にあるものを見るのは怖かった。
やさしさのことは、ほんというと
もうわからない。
ただ、生きることに嘘をつき続けるのは
もう嫌だった。
私の目に映る、すべての「あなた」を手放す。
怒っていい、嫌っていい。
あたしのことも、だれのことも。
あたしはあたしで、そうする。
わたしは、本当の意味で、人を好きになりたいんだ。
外側の人をもしかしたら、全部失うかもしれないけど
それでも
そこにしか、道はないんだ。
45356通目の宛名のないメール
お返事が届いています
まりちゃん
(小瓶主)
【小瓶主さんからお返事きたよ】
しまった・・ミスった!
10通目冬さんあての長文お返事を、投稿前に消してしまった。
(どんより・・しゃがむ)
しかし、わたし、その人の前提となるものを
クリアにした上で聞く、他人の話は好きです。
違っているっていいなぁと思う瞬間です。
「不機嫌」ひとつとってみても、たどってきた記憶が違うから
(受け止め方か)
読んでいて,純粋におもしろ〜い!です。
>存在給と失う恐さと単体で生きる覚悟の相互関係
ジェットコースターのくだり、
私は転嫁しない能動性、
流れに乗っていくと決めたときも、
不愉快な乗り物に乗っている自覚はあるときも
それを決めた司令官は自分だっていうのは
無意識れべるのときでも気づいていてくれるといいなと
思います。
あと、責めないことですね。
++
存在給で生きるというのは、あるがままということなので
人に受け入れられやすい
かわいらしい感情だけでは構成されていません。
(あくまで自分の解釈です)
黒い感情、負と自分で位置づけた感情もあっての
人間だから、それも◎(許可のこと)して、
併せ飲んでいる上でないと
他人の思惑や、人の顔色を見るなどが
入り込んでしまいすぎて(ノイズ)
自分がほんとはその時、その瞬間前後なく
何を感じているかが、ポンと出にくくなるように
思います。
存在給と呼ばれる状態自体、無意識で放っているものなので
その瞬間、意図がないので
よーわからんけど〜でのやり取りとなります。
そこで相手(も、存在給戸のとこが開いて)
そこから相手だけが持ちうるきらめくものを
もらっているのかなぁ?
すごいギフトをもらうときがあり(シンパシー)
悲しいかな,私は直後、それを手放したくないという
欲求が(煩悩)が出ます。
これ自体はしょうがないんですが、長くそのままにしておくと
以降、このギフトを次回もまた欲しい、
気に入られたい病が出ます。
この瞬間以降、
好かれる私は◎で、好かれない私は×とつけているんですな!
(存在給が死んだ状態になる)
一般的に人に好かれるとはこういう面の集合体だ
みたいな面だけで接する古い癖が出ます。
いろいろはしょるりますが、ここで、私の非常に不得手な
キヨミズジャンプが必要になるんです。
好かれたい人、これからも関係を作って行きたい人であれ
(それが自分を助けてくれている人であれ
尊敬するさかつめさんであれ!)
相手を打ち負かすとかではなく、
言わないと伝わらないそこはおもねちゃだめだろ!
のとこは、譲ってはいけない、自分優先だぞ!のはなし。
(=わたしの場合はそれによって一人になってしまうかもしれないという覚悟をしないといけない、がついてきます)
好かれる私に付随する,ウキウキ感情も◎、
おまえ嫌い、って言われた私に付随する,絶望感情も◎
(あってもよい,の意味)
これ、理屈じゃないんです。
絶望感情、感じ切るを気がすむまで感じ切らないと
「ああ,わたしの中にあってもいいのか〜」って自然には
思えないので・・。
(大抵の人は、この感じ切ることからの回避で
もっと楽な方法を探したり、誰かのせいにしたり、自分を責めたり
依存症になったり、精神疾患を患うケースもあるのではないかと
個人的には思っています、自身を振り返ってみても)
ふたつは表裏一体コインの裏表なので
どちらかが欲しければ、裏面はもれなくついてくるんで
覚悟はいつも必要なんすよ。
文字で書くのは簡単ですが、
これも,理屈で落としどころが決まることではないので
場数かなぁと。
で,そのゾーンを抜けると、わたしの場合はたいてい
「あれ?」がでます。
やだ!、あたしってなにがあってもなくても
全部マル!のひとなのに、
「失う」を怖がっていた〜〜!
「失う」自体、外側に在るものを示す言葉じゃんか!
(お金と同じ、循環しているもの)
他人の愛をもらっても、もらわなくても
おれ自身が◎であることとは、次元の違うことだった〜と
気づけたら、大抵大丈夫です、戻ってこれてます。
なもんで、そこんとこを含めて
課題があるので、私を受け入れてくれている人にも
関係を絶たれることの恐怖より
言うこと,言おうぜ!自尊心!キャンペーンを
開催しています。
長年のあたしの弱点です。
すぐ、イエスマンになって尻尾を振って
自己嫌悪ばかりなんで・・
でも、これ超えないと、自分と同じような人としか
引き合わないんです!
だから、絶対!もともと持ってる能力で
やっていく!に戻します!(存在給です)
わたし、能構造が後者なので、あらすじに
まとめる力がほんとになくて
正確に気持ちを伝えようと思うと、文が長くなると言う
キライがあることを最近知りまして
伝わっているとよいのですが・・。
ほわっと感じたことを文字に興したので
普段は私もほったらかしです。
考えるな,感じろ!
ブルースリーのこころです!
冬
痛みと熱の二重苦のGWだったんですね(現在形?) 少しづつでもらくになりますように!!
まりちゃんにとって「不機嫌」は「かなしみ」「絶望」「失う」なんだね。そうか。自分にとって「不機嫌」は「怒り」と「批判」「否定」なんだよ。だからそれを止めてもらわねば、「あんた(おいらのこと)はダメな人間」烙印を押されてる感覚なんだなあ。
でもこれも出来るだけ掌に載せて「ほうほう、自分ダメ人間って言われるのがマジで恐いんだなあ」と眺めることにしている真っ最中です。感情のジェットコースターには意地でも乗ってやんない(笑)つもり。
あ、でもジェットコースターにお乗りよっていうお誘いがあるのは自覚して、ぐるぐるしている感情は無きものにはしないようにしてます。ジェットコースターの前でそれらが通り過ぎるのを見ている時間はぐったりですが。たまには誘惑にかられて!つい乗ってしまけれど、「ちくしょーー、乗っちまった」という意識だけは手放ばなさいようにはなったかな。
豹変と失うはどこか似ている気もする。穏やか、愛しい、わくわくそういう物がなくなるなることは変わることって意味で。
もしお暇な時に、存在給と失う恐さと単体で生きる覚悟の相互関係を教えて貰えると嬉しいっス。存在給の意味は知ってる。
まりちゃん
(小瓶主)
【小瓶主さんからお返事きたよ】
ヘイヘイ!
G.Wは、初日に足の日帰り手術をして(片足)
(もう片足は半年後!)
足の上にふとんをかけてはいけないので
しぶしぶな寝方をしていたら、悪い風邪をひき
熱が出てオエオエいってます。
あしも、骨が痛くて,うまく眠れません!
漢方を飲みながら、だましだましの連休です。
(地獄・・)
わたしの場合、痛みと熱って
すぐ被害者意識になりがちなんですが
(ま、しょうがないんだけどな)
これはもともと治ったら、いろんなところへ行けるし
立ち仕事も出来るようになるので
前向き手術さっ!なので、耐えるぜ!
(費用は全部保険で賄ったぜ!)へへっ++
++++
>相手の不機嫌をすら自分が何とかできると
思っている節があって、
いやそんなスーパーマン的なことは無理なんだと思ったり。
>自分に制限をかける頻度が低ければ低いほど、
相手にもそうだよなあ・・
これは真理だと思います。(あたしの場合のね)
そして,まだ日常にはなってない価値観です。
でも、深い所ではしみじみわかった。
でもそれは,先月のこと。(おっそっ!)
理屈では、、過去小瓶やお返事を
読み直しても、同じことをずっと書いているので
そうありたいと思いながら(種はあったんだと思うが)
「わかる」までは落とし込めてなくて、
ずーーーーーーっときつかった。
人の不機嫌見ると、他人事なのに、そわそわオロオロ。
なにか自分で導きだせるきっかけがあるといいね
という気持ちも半分は本物だけど
(それはほんとに,自然発生的なやさしさなんだとは思う)
不機嫌を見たくないから、いっちょかみをするというのも
同じくらいある。
自分の場合は「不機嫌」を見ると、そこに
「かなしみ」「絶望」「失う」みたいな感情を持っていて
その感情を持っていてもべつにいいのに、
無きものとして扱っていたというとこが
長引く理由でした。
++
いま、毎月心理の講座に通っていて
(自分の面倒だけを見れるようになれれば御の字,の思い)
そこで、二日間かけてわーくをやったあと、
自分が怖がっていた場面がはっきりわかりました。
他者の「豹変」です。
それも,ひも解いてみればなんてことはなく、
単に、自分の負の感情を受け入れてない=
他人のソレにも全く寛容さがない!・・ということです。
こちらに戻って、上記の様な気づきもあり、
あえてそこをゼロ地点として、この時期なので
もう一度ワークをしました。
ワークの数日前「お金」のことを考えていたら
尋常でない恐怖感情がやってきて、
わたしは、お金=心の豊かさ,だと思っているので
(これ、絶対伝わりにくいだろうな、持ってる量のことじゃないんだよなぁ)
一文無しでも、ああ存在給!じゃ〜ん。
ということは、他者からの愛も、お金も
自分の外側のものだ。存在給あるから死ぬまで◎じゃん!
(心のままで生きればいいんだよ)
と、はじっこまで針が振れてやっと気づく人。
(もう,文が長いよ!!イライラ)
で、そういう前提で、二度目のワークをしたら
前回は「豹変」、今回は「失う」という単語が
ポーンと降ってきました。
もう、ぐうの音も出なすぎて、まじっすか?
他ないっすか?と自問自答したくらいです。
(それくらい、ビンゴなのでした)
それのながれで、もう、わたしは、ほんとうに
どういう人だと思われてもいいから
(ここがネックでしょうね)
ひとりになることでしか(単体の意)、
人間らしい生きかたは
難しいのではないかと、覚悟に近いものが
ふつふつと固まりつつあります。
その上での他者との協力関係も
可能なのではないかと?
こういうの、子供の頃からあたりまえじゃん!の人が読んだら
すっげ、バカにされるとは思うけど、
背に腹は変えられないので、やるです!
あんまり長いので、しり切れとんぼ、極楽とんぼですが
(??)
一旦終わる。
冬
GW楽しんでますかーー?
先日受容ってなんだって考えていて受け入れられるって自分に制限をかける頻度が低ければ低いほど、相手にもそうだよなあって至極当然なことをうむうむ、と思いました。
つまり、今年の目標である、出来るだけしたいことしかしないを実行することで自分に課している諸々のストッパーを外すことが、自然相手へのこだわりも手放すのかなと。
ところがですね、うちの子が「嫌なことは分かるんだけど、好きなものが良くわからない」と言っていて、ひょえ~とはなった。
自分は割と好きなことはわかるので、それがわからんというのがよくわからなくて、でもその不機嫌オーラ全開の子供も私はその不機嫌にさらされたくないからどっか行くわ、それを閉じろとは言わんがね、というスタンスで行こうと思った。
相手の不機嫌をすら自分が何とかできると思っている節があって、いやそんなスーパーマン的なことは無理なんだと思ったり。
足るを知るってそゆことか?
不遜やね、自分。と自分の図々しさも暴露するGWです。
まりちゃん
(小瓶主)
【小瓶主さんからお返事きたよ】
でた!冬さん、話が早い。
(さすが、せんぱい!)
お返事のおケツの3行、それなんです〜〜〜!!!
だって、それだと、もう、ぜんぶ◎なわけですよ!
なんて、愛なんだ・・やさしい視点なんだ・・。
煮詰まっている時こそ、煮詰まっている自分も◎なんて
はい、一瞬終わり、次の一瞬すでに来ている、
次、行きましょう!ってわけでもあって、
畳ゴロゴロお茶会で、わたしはとても停滞していると言ったら
異口同音に、上記のことを言われ、
「そういえばそうだった〜すっかり忘れてた〜!」
でした。
ありがてー。
わたし個人は、こころ屋さんも含め有名な人であれ
この人いいこと言ってるなーと思っても
妄信(その人の言い回し、見え方オンリーを良しとする)
というのが出来ないもんで、
根っこはどうにも、同じだけど、
入っていかないな〜というときは
違う人のブログを見たりして、
別角度から見る視点のシェアさせてもらったり、
あえて,何も見ないこともあります.追わない。
自然に浮かんでくるから,それを待つ!
それだけが〜わたしの真実〜〜♪です。
><ココロの病は、じつは、強制執行
(もうその生き方やめなさいのサイン)
だったんだぜ!のはなしでした。
と、この小瓶に書き散らした、
父親きっかけで書いた
すべての『あなた』を手放す
(あなたに清濁があって、あなたがそれを
表に出すことを受け入れる)の話が
今の自分を作り上げてしまい、解き放てるすべてだろうなって
何となく気づいていて、
現在ダウンロード中です。
(まだ血肉になっていない)
これも、追いかけたり、意識しても離れていくだけだから
あえて,放置です!
生きている間に,すべてが終わりますように・・。
冬
ええっと、順番的にはこの小瓶はどのあたりになるのかわかんないんだけど、とりあえず今日は4月28日夜です。お返事最新版。
はるちゃんやhappyさんのブログを読んでる人は私の周りにもいます。最近リアルにそういう話をする人も出てきて自分の周りも変化しております。
心屋さんもねえ、行ってみたいという気はあるんだけど、今は良いかなという気もするし、ということは今ではないんだな、きっと。
<ココロの病は、じつは、強制執行
(もうそれやめなさいのサイン)
だったんだぜ!のはなしでした。
あー、それ、すごくよくわかる。自分にも10年前あった。
振り返るとよくわかるんだけど、渦中だとわかんないよね。感情の洗濯機に入り込んでぐるぐる回ってるとか、同じく感情のジェットコースターに乗ってるんだけど、なぜかそこから出ないし降りないのね。
えーと、出られないでもないし、降りられないでもないところが、苦しいけど、それは自分がカードを持っているから、自分意志だってことだし、自分で決められることなんだと思う。でもこれも結構不遜な感覚かもしれないとも最近思います。これは自分的な言葉。
先日「受け入れるって、NOを言う自分を受け入れることも含まれる」って言葉を見て、おおってなりました。以上。
まりちゃん
(小瓶主)
【小瓶主さんからお返事きたよ】
小瓶主)
あーこさん、みみずさんお返事をありがとうございます。
わたしの書いた、これに関しての「本当」は
わたし自身が感じている感情で、排除しがちな感情も
うれしいたのしいなど
許容しなれている感情同様、そのままのかたちで
感じ切って受け入れる、が出来ると
(まるごと自己肯定になるので)
そのとき初めて、自分の外側(他人)というものが
自分とは関係ない、単体として初めて存在を確認することができます。
(未知なる物体)
先入観がない状態で見ることが出来ます、比較的な。
家族であっても同じです。
だから、ひとつずつ、相手に聞いたりしながら
その人を知る作業をしていくことになる。
自分の穴(=上記の、排除したい感情)の
穴埋め要員に利用していた頃の他人ではなく
そのひと自身に興味がある上で(全員はまぁむりだけど)
知ろうとする行為。
好きになりたいというのも、その行為の延長で起こりうる話。
一瞬よぎったことも、文字に興すと毎度ながら
字数を稼ぐぜ!
長くて失礼*
まりちゃんでした!
みみず
手放すことはとてもこわい。
人は、わからないものに強い恐怖を感じるんだろうなーとおもいます。
今ある、自分に見えるものが全てだと思えば、そう信じ込めばとても楽。ほんとうは楽であることと、楽しいこと、幸せなことはまったく違うとわかってはいるのに、不思議。
相手と自分と。ほんとうって何なんだろう?
ニュートラルな状態で、切り離して考えられた
ら、とてもすがすがしく生きられるのかな?なんて考えました。
感じたことを羅列したら、ズレてしまった…
さーっと流してくださいな。
まりちゃん
(小瓶主)
【小瓶主さんからお返事きたよ】
おぬし・まりちゃんです)
冬さんおへんじありがとう!
このお返事に関しては、冬さんは、フラメンコ風か?
(浮かぶイメージ)
&小瓶主補足つれづれ。
自分と、自分以外の人全員、という視点で流した小瓶です。
「美しい笑顔」のくだりも、出会った女性達のことを浮かべて
書いてます。
すべての「あなた」=すべての「他者」の意味です。
特定の人に向けた小瓶ではないのであしからず。
(そう読もうと思えばいくらでもそう読めるんだなよなぁ)
こわこわっ!
45327通目、ああ・・かなしい。
10日も経てば過去かいな・・(思い出せない)
この小瓶、わたし、なにもかもがすべて
テトリスだかなんだか
ゲームしないので知りませんが、
なにもかもが、ぐわっと、表に出て、かつ
整頓できる術が備わった状態でした。
この小瓶を書いたきっかけは
おとうさん自身が受け入れられなかった、
自身の◎と×
(中身はわたしはわかりかねないんですがね)
を、お父さんが受け入れていたらが浮かんで
あとは、怒濤の芋づる式で、私自身のこととつながり
物事の線をひく場所が自動でわかりました。
ストンストン、引けました。
というのが、45327通目とこの小瓶だったんです。
もう、わからん状態にまたなってます・・
なので、一旦手を離して忘れます。
思い出せることを信じて。
ほんと、あとで自分が読む用のワークメモ代わりに
この場を使わせてもらっています。
でも、これらにショック療法的気づきがあったと
いうことは
わたしの中にはすでに、種芋はある!ということです。
ブログと違って、他者の意見が入ってくるので
触媒となるので、助かります。
(いい意味)
きょうは、はじめてこころ屋さん見に行ってきました!
歌謡漫談ショーみたいでよかったです*
余談ですが、後半質問コーナーがあり、
たまたまどれもこれも、自分とかぶるものだらけで
考えさせられるものばかりでした。
やりたくないことやってる言い訳のことや
(わたしなら、絵の仕事と、ブロイラー色のある
マニュアルのオフィスワークですね)
一人で頑張ってきた人が、やっと安住の地が
・・と思ったら
他愛ないダンナさんのひと言を真に受けて
また、奈落の底に・・のはなしや、
ココロの病は、じつは、強制執行
(もうそれやめなさいのサイン)
だったんだぜ!のはなしでした。
けっこうこれのおかげで
再び、違うゾーンのパネルが一枚開いて
昨日は死ぬ思いで一日過ごしました。
(それまでとは違う価値観がやってきてしまい・・
からだが受け入れたいのに、慣れなすぎて
目の前がぐらぐらしていました)
余談ですが、さかつめさんのピクニックに
参加したとき
人生相談をしたおじさんが、
こころやさんとこの講師さんで
(うんとあとで知る)ご挨拶とお礼が言えてよかったです。
あたし、結構どんづまりのとき、
さかつめさんのブログ見るんです。
ホント、見たくないけど、あのひとの生きる引力からは
逃げられないな〜です。
生まれ変わったら、さかつめさんになりたいです!
女だから、まゆちゃん(いばやの人)でもいいな!
最近は、はるちゃんや、happyさんのもかなり見ます!
なんだかんだいって、清濁併せ飲んでいる、背骨のある人と
いう意味では、同じような人たちな気がしてます。
ながいので、流してスルーでよござんす!
冬
だって不機嫌嫌だもの。自分が不安定になるし。嫌われたという思ったら恐いもの。
相手の想いと自分の想いを独立させてそれぞれに立たせて、感情を断てたら良いと思う、私も。
自分の反応は自分のもの。それはネガもポジも同様。出来るだけ緩い範囲でそう分けられたらいいね。
そうすることで相手のそれらも相手のもので、私には責任はナッシングになる。
どんな高邁な理論も自分の好きには負ける。
マインドからの(エゴからの)そうしたいは、絶対にワクワク感が無い。
もうこのワクワク感だけを頼りに私は歩きたい。踊りたいんだ!!!
まりちゃんの道にもワクワクの提灯が灯ればいい。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。