さみしかった。
ずっとずっとずっとずっと
ずーーーーっと
いつもいつもさみしかった
どこにいてもひとりだった
明るい場所にいても
心は凍っているみたいだった
いつも、いつもさみしい。
ひとりはいやだ。
ひとりはいや!
どうしてこんな気持ちが
人間の中にあるのだろう
なけりゃいいのに!
なんの役に立つんだ?!
あたたかい手に触れたかった
きみはひとりじゃないと
この世で一番安い言葉を投げかけてほしかった
薄っぺらい人間には、薄っぺらい言葉を
舌の上にのせてもらえば
一番の睡眠薬になる
数ヶ月に一度、こんな夜があるね。
羽がむしられたあとの、鳥の残骸
標本、模型みたいな気持ち
どうして、きれいな面だけで生きてはいけないんだ?
嘘だけをかき集めて
いいじゃないか。
信頼なんか、このわたしに手に入るわけもない。
絶望だけかき集めて飲み込んでしまった方が
ラクじゃないか。
いつものように、逃げ回ればいいだけじゃないか
人生に期待などない。
希望なんかない。
のたれ死ぬのが関の山。
わたしだけ、スイッチが入らない。
わたしだけ、ずっと、このまま
何も手に入らない気がする。
わたしだけ、人生、ダメな気がする。
いい思いなんか、見たことないもん
知らないもん。
さみしい。たすけて
ひとりはいやだ。
++++++
という、真っ暗な、わたしの反対側にある気持ち
(ここんとこずっとこんなかんじ)
を、ド深夜、一旦、小瓶として流しました。
いま読み返しても、排除したくなるような吐き出しです。
なんか久々、相当ひどかったようです。
ここまできてるのはほんと、相当のときです。
(書き出して解った)
でも、あえて勇気を出して、さらしてみます!
それくらい、ここ数日、感情に蓋をしていたようです。
偏り切っているというのは、苦いものです。
でも、そんなときもあるんです。
滅多になくても、あるはある。
掲載前に削除して、寝て、朝が来て
目が覚めた途端、
まんなかにいました。
およぐような、水のまんなかです。
(いま、ここ)
久しぶりです。
それでいいんだと思いました。
理屈はわかりません。
昨日まで、出来なくなっていた
「感情を感じ切る」が、ふっかつです!!
わーはーはー!!
この吐き出しも、読み直してみました。
青汁みたいです・・
でも、あってもいいんです。
この苦さ、あってもいいんです。
苦いけど、◎(許可)です!
=感情から逃げない。
◎ついてるなら、その先の選択は
気分次第でなんでもありです。
私の課題は、ひとに甘えるです!
せっかくくれてるのに、もらわない。
裏側にある、どうせひとの心は変わるもの・・が
あるからです。
じゃあどうすんのか?
どうせひとの心は変わる、こともある!
の時の、あのちりちりした感情を受け入れるのです!
そしたら、反対側の、花束も素直に受け取れるのさッ!
(あ。書いちゃった)
場数場数!
と言いたいですが、ほんとはこれも、少し違うんだけどね。
場数より、感じ切ることの方が重要みたい。
時々、読み返しにきます。
すみません、ほとんど、自分のワークとして
この小瓶を使いました。
なんだかんだいって、
生きることを諦めたくないなぁと思いました。
あと、やっぱり、わたし・・に限らずだとも思うんですが
自分の感覚を信じて生きるというのが
一番信用できます。
理屈と根拠と理由のない世界。
名前のない小瓶
45889通目の宛名のないメール
お返事が届いています
烏羽
主さんのお返事込みで、端から見て思ったんだけどさ。
人の解釈によるとしか言えないんだけれど…
感情だけが本音の出所なのか?とか思っちゃいました。(だけ、とは書いてないのを読んだ上で)
悪いね、前々からくどくどと。
なんなりかんなり、感情の出方にも今まで培ってきた人間としての理屈みたいなものが関わってるんじゃないかなーとか。
「理屈や根拠がない」っていう理屈を持ってる、みたいなさ。
それ込みで、自分の感覚なんじゃないんかとね。
俺の思ってる理屈は、経験から来た自分以外には何の根拠もないものだと思ってる。
屁理屈じゃなくて、ちゃんと一本筋の通ったもの。
人は自分で自分なりの理屈を作ったり、事柄と関係のない根拠を結び付ける事も出来る気がするから…
自分に都合の良いものを作って、それで補うように都合の悪い何かを隠すような事をしてしまう時もあるんじゃないかと思う。
それが1つの困った側面になり得るんだろうかなー。(感情にも困った側面があるように)
感情を外から抑えられるのは理屈で、感情を外から助けられるのも理屈で。
理屈を外から抑えられるのは感情で、理屈を外から助けられるのも感情で。
理屈で感情が動かされる時はあるし、感情で理屈が動かされる時もある。(お互いの道理が通用しない時)
どっちが卵と鶏か?そんなもん俺は知らん。
強いて言うなら両方に卵と鶏の側面があるとしか思えてない。
頭も心も、そういうものじゃないのかね。
だから、自分の感覚と呼ぶものを信じていられるんじゃないんかねと考えてみた訳さ。
まあ、認識で解っていてもいなくても、そうやってツギハギに生きているものじゃないのかと自分的には思ったんよ。
まりちゃん
(小瓶主)
ぬしです)
悲惨な、こびんだ。
あがき、もがくすがた、まるまるですね。
ことしの夏頃に、流したものかな??
あなたのおかげで(1通目さん)
振り返ってみる事が出来、かんしゃです。
感情はね、すなおでかわゆい物ばかりじゃないから。
スネとか、嫉妬とか、も
でます。(ふつうの人間関係のなかでも)
出るたび、向き合う、本音の出所。
逃げられないからなぁ・・
感覚はね、ぼちぼちです++
ブッサイックなまま、いきていくさ〜〜!
おへんじありがとねーー
名前のない小瓶
感情を吐き出すのって大事ですよね。
本当につらいときには何も感じられなくなりますよね。感情感じられるようになってよかった。
人に甘えられるといいですね。
たまに見返しにきてどうですか?
以前よりも楽になっていますか。
そうだと、いいなぁ。
自分の感覚を大事にして生きていますか?
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。