過去に何度か、「人の言葉を真に受ける」と書いていましたが、どんな言葉でもそのまま受け止めるという意味では使っていませんでした。
例えば「優しい」「面白い」という言葉を、そのまま受け止めることはむしろ出来ません。
『いや、優しくないし』『え、何、今貶された?』
簡単に言えば捻くれてしまっているんでしょう。
私の言った「真に受ける」というのは、さっきの例えとは逆に、関西人ノリでいう「アホやな」みたいな言葉をサラッと流すことが出来ず、そういう言葉だけは素直に受け止め止めてしまって傷ついてしまうのです。
あとは、私は社交辞令という物が大嫌いです。
という内容は過去に書いたことがある気がしますが、「また飲みに誘ってくださいね」「今度何処何処行こうよ」といった内容を真に受けます。
いえ、真に受ける…、ちょっと違うかもしれませんね。
『え、今のって社交辞令なの?誘って良いの?』と考え込んでしまいます。
『これは社交辞令だな』と流すことが出来ません。
何を考え込む必要があるのかって話かもしれませんが、社交辞令だと思って流すことにしたことについて「いつ行くの?」といったことを何度か言われたことがあるのが原因です。
お礼や謝罪、褒め言葉は捻くれて受け止め、貶し言葉は真(シン)に受け止め、誘い等は社交辞令なのか本気なのかを考え。
流すことが出来ないという意味で「真に受ける」と使っています。
因みに社交辞令について、目上の人からあまり受けたくないような誘いを受けた場合、「はい!是非行きましょう!」と私は返します。
これは社交辞令として返していますが、過去に流した小瓶のお礼や謝罪の件同様、私自身はそれを使っています。
自分は使っている、と言っても返し側の社交辞令ですが、言われるのは嫌い。
最近は何か誘われたりとかそういうことがあると、「俺、社交辞令は嫌いやで」と言って「社交辞令じゃないよ」と言わせてしまっている始末。
あぁ、私って超面倒臭い。