やっぱりすこしかなしい。まだ自分の足でたててないから。
でもかなしいことだと思っていたけど、それ自体かなしいことじゃないんだと。そうじゃない状況が幸せなのであって、これが不幸せな、さみしいことではないんだと。
またこれも、時間を過ごした証拠なんだと気付かされた。あまりにも普通で当たり前だったから、幸せなことに慣れてしまってた。
心からありがとう。当たり前にもらっていたから、そうじゃない状況をいまだにさみしくて心細くてかなしく思ってしまう。
でもそれすらも、大事なことを教えてくれる。
ぜんぶがぜんぶ繋がっていまのわたしになっているから、それを気付かせてくれたから、出会ったり別れたり、ぜんぶでいまのさみしがっているわたしだから、なんかちょっとずつ前に進めてるような気がする。
なめくじみたいに、ものすごくゆっくりではあるけど、ちゃんと通った道がわかるような、それをぜんぶ否定しない自分でいられる。
ドラマみたいにはいかなくて、現実に視聴者がいれば、笑われ者なのかもしれないけど、でもそうじゃなくて、気付かせてくれたこと自体がだいじな贈りものなんだ。それでいい、それを幸せだとちゃんと思える。
最初がきれいな涙でしあわせだ。感謝の日だ。あなたのおかげだ。
さみしさをなくすことも否定することもできないけど、さみしさすらも楽しんで、今日はわたしもわたしをおもいっきり甘やかしてやろう。しあわせな、最高ハッピーないちにちにしよう。
本当にありがとう。