宛名のないメールも有名になった
する人が増えるほど悪いことを書くひとも多くなって、そうなると規制とどんどんが厳しくなっていく
前は、こんなに縛られていなかった
もっと自由に自分の気持ちのままに、
言ってもどうしようもないこと、どうにもならないこと、どうにもできないこと
私の心の声、思うがままの声を載せれる
その時の感情のままに声を載せれる場所だったのに
皆が悩んでいることの大抵は
言ってもどうにもできないこと、正解とか不正解とかない感情
そんな気持ちはその時の''感情''で言うことが発散へ繋がるのに
一度落ち着いて考えてしまったら、
正解のないことに気づいてしまうから
ただ、惨めになるだけ
ほんとの切羽詰まった気持ちは落ち着いてなんて考えれない、言葉が自分の気持ちが溢れ出てしまうから
人に気をつかって言葉を選んで書きましょうって
日々の人間社会に疲れてるのに、こんなとこでも気をつかってかかなきゃいけないのか
そんな場所は安らぎの場所なんかじゃなくて
また、偽りの場所。
宛名のないメールなんでしょ?
宛名のないってことは返信を待ってる訳じなない
質問とかお悩み''相談''なら返信を求めてるなら、知恵袋かどこかでやればいいのに
返信を貰う低で言葉を選ぶというのは
なにか、違う気がした
前の宛名のないメールは悩みを吐き出して
それに応援のメッセージを皆が送ってくれて
それを見て明日もちょっと頑張ろうって気になれたのに
今の宛名のないメールは宛名のないじゃなくなってる
宛名のないメールはお世話になりはじめて
もう、五年くらいかな
いつからマイページを、作らないと
投稿できなくなったっけ?
もう自分の知ってる場所じゃなくなってしまった
ありがとうございました
さようなら
名前のない小瓶
47235通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
ここで小瓶を流すということは、必ず誰か受け取る方がいますよね。
それを考えると、ある程度の言葉遣い、気遣いなどは必要な気がします。
私はこの小瓶を見て、少し、傷付いてしまいました。
その時の感情で書いた小瓶も、落ち着いてから言葉を整理して書いた小瓶も、お悩み相談の小瓶も、どこかの誰か、受け取る相手(読んでくれる人)がいること願って書いたものには変わりないと思ったからです。
貴方の主張に納得する部分もあるし、否定するわけではありませんが、人の数だけ考えがあるのだから一方的な観点だけで、流していい小瓶を決めてしまうのも何だか違うような気がします。
ななしさん
去る者追わず来る者選ぶ
って感じ
ななしさん
全くです
ななしさん
すごく分かる…
なんか、息が詰まるよね…
ななしさん
去年あたりから利用している者です。
昔の宛目がどのようなものだったのかは分かりません。けれど、言いたいことは伝わりました。
私は、返信のいらない、そういうどうしようもない気持ちは、いつも愚痴掲示板に投稿しています。
何故なら、そこでは本当に誰も見る人を気にしないで思うままに書けるからです。
そして、投稿したものも新たな投稿によって奥に追いやられるし、マイページがないから返信を待たなくてもいい。
返信も時により、傷口に塩を塗り込まれるくらい、傷つき、自分を否定されているように感じてしまうときがあるんですよね。私なんか、心が弱いので特に。
しかし、宛目はただ思いを暴力的に投げ込むだけの所ではないと感じているから、利用しています。
みて、共感してくれる人がいる。
私が宛目を利用するときは、様々な感情、思いがぐちゃぐちゃになったとき、整理したいときです。返信も、共感できる投稿や、励ましたいときのみにしています。
運営さんには、感謝しています。
メール自体、誰か、人に送るものです。
誰にも言えない気持ちを、「宛なのない」メールとして送って、誰かが拾ってくれる。
見知らぬ拾ってくれる誰かがいる。
吐き出し口としては考え用ですが、コンピューター相手ではなく、相手がいるということを肝に置いておかないと駄目だと思います。感情をどう吐き出すかですかね‥
宛名のないメールの管理人
管理人の少年Aです。
マイページや小瓶を流すときの注意事項に対する皆さんのご意見はよく考えてみたいと思います。
マイページは一度作ってしまえば(作るのは1分もかからないです)、後は過去のマイページが「あったとき」と「ないとき」で流す作業に違いはありません。
手間も時間も変わりません。
なので、マイページがあるから流しづらくなるということは、初回以外はありませんので、まずマイページを作ってみてください。
小瓶の流すときに気を付けてほしいことを書いてありますが、僕は、小瓶を流す人も読む人もみんなに嫌な思いをしてほしくないと思っています。
皆さんが宛メで「小瓶を流したい」と思ってくれるのは、「読んでくれる人がいる」からだと思います。
誰にも読まれなくて良いのなら、ブログを作ってそこに書けば良いのですから。
でも、それをしないで宛メで小瓶を流すのは、「誰かが読んでくれる(お返事がもらえることもある)」からではないでしょうか?
つまり、宛メが宛メであるためには、「小瓶を流す人」「読む人」が絶対必要です。
そのためには、「小瓶を流す人」だけではなく、「読む人」にも利用しやすい場所にしなければいけませんし、「小瓶を流す人」もある程度は「読む人」のことを気遣う、思いやることが必要ではないでしょうか?
好き勝手になんでも流していたら、読む人がいなくなってしまいます。
また、気を付けてほしいことをいくつか書いてありますが、その内容のせいで「書きたいことが書けない」ということはないと思います。
「書いてはいけないこと」を書いてありますが、それを守ってもらえないと小瓶を流せませんので、せっかく書いてくれたのに流せないのは僕も嫌です。
ですので、最低限守ってほしいことだけです。
マイページや注意事項に関しましては、その他良い案がありましたら、いつでも検討しますので、どんどんご意見をください。
こういう機能がほしいというのも対応いたします。
少しでも皆さんが使いやすい宛メになるように、いつでも僕はお話を聞きますし、修正もします。
「変わったらもういいや」では、僕も悲しいですが、せっかく今まで宛メを使ってくれていたのに、そこで辞めてしまうのももったいないと思います。
ぜひ皆さんのご意見をお聞かせください。
最後ですが、現在小瓶の投稿をいただいて非掲載にしている小瓶をほとんどありません。
たまにありますが・・・。
投稿していただいて、確認して掲載するまでに多少時間がかかっていますが、ほぼ掲載されていますので、しばらくお待ちください。
また、掲載されないと思ったときはご連絡をいただければ、調べてちゃんとご説明をいたします。
皆さんが利用しやすい場所になるようにこれからもがんばりますので、よろしくお願いいたします。
ななしさん
その気持ちよく分かります
流したい事書いているのに……
マイページに残っている
小瓶を流す事で気持ちが少し落ち着いたりしてた時が懐かしい
ここはもう自分の居場所ではないのかなぁって思う
名前のない小瓶
うーん、確かに…
マイページや小瓶の注意書きが出はじめたとき、管理人さんは利用者のことを色々考えているんだなとは思ったけど
同時に、利用者のことを思いすぎて小瓶らしさが薄れつつあるかな、とは思いました
仕方がないんですかね…
宛名もなく差出人もない手紙を適当にポイッとするのが個人的に珍しくて、面白いサイトだと思っていたので、少し残念でもありました
自分はこのサイトに対して何も貢献していないので、何も言えませんが…
りぃふ
変わっていくのは仕方ないのかもしれませんが、受け入れるのは難しいですね。
烏羽
去る者は追えませんが、考えさせられますね。
切羽詰まってしまうと、どうしても何かを見落としがちだったりするので、湧き上がる気持ちで一杯になり、そこまで気が回らない事に苛立ちを覚えてしまいますよね。
現時点思いつく限り、いい意味では、縛りが多くなる事で自分の表現を見直す事になり、冷静に自分の感情と向き合う事になると思いますし、私自身、自分自身で気持ちに整理を付けられる事もあったかと。
読み返しながら書き連ね、その後少し落ち着いて整理を付けられるなら、ここは他者が読んでいて伝わりにくいんじゃないかという事が思い浮かぶ事もあり、それによって何かを感じた方が内容を理解しやすくなり、お返事を下さるかもしれません。
それは返信を求める小瓶の内容を考えるという事ではなく、自分の為、延いては自分の為になるかもしれない受け口を広げる意味になると思います。
小瓶主さんがどういう事を言っているのか解ったつもりで(それでも誤解はあるかもしれません。努力があろうとなかろうと失敗はあると思うので)
あえて揚げ足を取るような形になってしまう事を予めお詫びしたいのですが、自分の感情を全て丸めてそのままここに乗せる事というのは誰にも難しいと個人的に思います。
しかし、言葉に乗せる上で大切なものも、個人の領域に止まるばかりですが、気を付けた方がいい事もあると思います。
程度こそあれ、感情に寄り過ぎてしまうのも生きている上では仕方のない、自分のために大切な事だと思っています。
しかし、日常生活においてもそう言えますが「自分の感情」というものを優先し過ぎてしまえば、どうしても軋みは生まれてしまいませんか?
勿論、あなたが悪いだとか、自分の感情を優先し過ぎるのが悪いであるとかの話ではありません。
軋みを生みやすい事を思うと、自分と他者と、互いに関わる以上、最低限の気遣いは必要だと思っています。
「感情」でものことを言うのが発散に繋がるというのは確かに納得です。
ただ、感情的であるなら、生まれた軋みから更に傷付くこともままあると思います。少なくとも、それを経験した事はありますし、その最中にいた人を宛メでお見受けした事もあります。
それを少しでもなくすためにもあるのではないかと思うんです。
ですので他人を気遣えるということは、必ずしもイコールとは結び付くとは限りませんが、結果的に自分を守り、気遣い、労わることにも繋がっている面はあるのではないかと考えています。
人は千差万別で、考える事も感じる事も、宛メノの使い方も、その時々によって多種多様に変化しますので、変化が悪いという事ではなく、変化するというのであればそれを踏まえた上で対応した方がいいと考えれば、1つの対策としても、気遣いや思いやり、それを乗せられるであろうと考え付く言葉、と言ったものが必要なのではないかと。
確か、管理人さんがどこかで書かれていたような気もしますが、あくまで気を付けて欲しい事、管理する立場や一人の人として守って欲しいと思われる事を表記して、ルールとして必ず厳守しろというものではないという事だったと思いますよ。
感情のままに書き連ねたい事は少なからずあるでしょうし、読まれるという事に意識を割けない状況もあるでしょう。
ならば書いたなら書いたで、もしも自分の文を読み直している中で少し落ち着いたとするなら、書き切ったその後文頭や文尾にその小瓶を読む上で気を付けて欲しい、これは誤解して欲しくないと言った事を書いて置けば、小瓶主さん自身のためにもなる事が幾らかあると思いますし、小瓶主さんへの理解も深まり、少しでも頑張って欲しいという気持ちのあるお返事も増えるのではないでしょうか。
まあ、私は見ての通り文章が長過ぎる上、人の事を言える立場にありませんが、それを強く言っては誰も何1つものを言えないですからね。
出来る事出来ない事、気を付けていれば出来る事、それでも時には失敗する事、そんなの沢山ありますし。
厳守しない以上、最低限と思われる範囲で、その時々に出来る範囲で読むであろう周りと、読み返している自分とを気遣えればいいなあと思いますかね。
返信を待つか待たないか、というのはこれ以上長くなっても困ると思うので控えますが、読まれる事を意識する、しないにしろ、返信を意識しなかった時だからこそ貰えた時嬉しく思える面も個人的にあるので、そういったスタンスで宛メを利用しても良いのではないか?という事には、やや角の立った言葉遣いとなりますが、賛同します。
最後に、いい意味でも悪い意味でも、場所というものは各々が知らずと作り上げて行く一面のあるものなのではないかと考えています。
一人一人の何気ない、奥底から出た気遣いや思いやりの積み重ねに勝るものはないとも思います。
そういう場所を、日常も宛メも関係なく、人は求めるものではないでしょうか。
殺伐とした自然界に生き、時に喰らい合い、時に助け合う事もある動物と、自然から遠ざかり、文明を持ち、その中でも時に争い、時に助け合う事のある人間とでは、生き方が異なりますが、根底に流れているものは何1つ変わっていないと思います。
いい事も、悪い事も、です。自分自身が一人で小さく頼りなく見える時があっても、一人ででも立ち上がるために、意図せずとも常に気を配っているものだと思いますよ。
どうか自分自身をご自愛ください。
では、改めて考えさせて頂き、考えを出せる場を頂き、ありがとうございました。
ななしさん
そうだね。ただのSNSみたいになってきているよね。世の中の流れに押されているようで私も悲しいよ。ほんとはね。
でも私はここを離れられないんだ。心の本当に底にあるものを出せるのはここしかないって気付いてしまったから。
またここで会えるといいね。さようなら。
ななしさん
小瓶主さんの気持ちと凄くフィーリングしました。
私も画像も乗っけれないマイページもない時代から宛名を見てきました。
最近ではマイページがないと載っけれないなくなったみたいですね。
当時は凄く心を意志疎通するお返事を頂けたりと暖かい場所でした。けどここ数年は荒くれ者も住み着いてたりと随分居心地が悪くなりました。
管理人少年さまに問い合わせしたところ、小瓶を消したいときに小瓶主本人かを確認をとるため。とおっしゃってました。少年さまの言ってることもわかるんですが、なんというか感情が上手くついていきませんよね。ほんと。私もつい最近、小瓶流すためここに久しぶりに戻ってきましたがマイページが必要なためやめました。せめて共感した小瓶にはお返事などを書いてますが、私にもここには居場所がありません。残念です。
ななしさん
マイページがあると自分の流した小瓶が目に入るのが嫌だ。
吐き出したものは流れて埋もれていって欲しい。
ななしさん
完全に同意
誰かに吐き出したい時によく利用してたけど、マイページ作ったりする手間のうちにそれも萎んでしまう
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。