両親から愛されたい
その思いからいい子を演じてきました
そして気がつけば
何歳、名前、職業、年齢、家族構成の他全てを
人格を変えて他人とかはかかわってきました。
最近、作り上げた自分がいやになりました。
次はどんなキャラクターにするかお気に入りが見つからず心が荒れています
鬱病、幻聴聞こえることあります
人格障害とは言われていません
生きる意味、見つからない
名前のない小瓶
49239通目の宛名のないメール
お返事が届いています
烏羽
両親から愛されたい。
褒められるのは嬉しい事だ。
怒られたり、見放されるのは嫌な事だ。
誰かが喜んでくれるのは嬉しい事だ。
だけど…
上手くやろうとして、自分というものから離れようとする必要はあったのだろうか。
気付けば自分自身がわからない。
自分そのものの居場所も、力も、わからない。
手放しにしていいものだったのだろうか。
自分自身や何かを守る為、居場所を守り、愛を受けたいが為。
だけど、愛とはなんなのか。居場所とはなんなのか。俺は今でも明確な答えは出せていない。
生きる意味にしてもそうだ。
かもしれない、というのはある。
でも、それが本当のものなのかはいつもわからない。いつも自分に問い掛けるしかないと思っている。
行く先々は不安だ。不幸はたくさんあるかもしれない。
同じように幸せがないなんて事も言えない。
希望かどうかはわからない。
絶望かどうかもわからない。
俺は、小瓶主さんと違うかもしれないけど、似たような事はあったのかもしれない。と思っている。
カッコつけたり、面白くしようとしたり、それは失敗や他人の目を恐れたり、理想でありたいと思って、その結果身の程以上に振舞おうとする。
俺にはそれで、なかなかこれといって、上手く行ったことがない。
結果がどうこうは置いとくにしても、小判主さんはそれが上手かったんだろうかな。
とはいえ、カッコつけようとしたり、面白くしようとしたり、そういうのが行き過ぎれば問題になるとしても、適度なそれによって本当に面白かったりする事もある。
…まあ、今だから言える事だけれど、格好つける、作ろうとする、そんなの全く考えず過ごす事も、面白い…というか、傷付くことも勿論あるだろうけど、生きてる実感はあるのかもしれない。
上手くいかない中で、色々考えるうちに、自分とは何なのか、作っていた中の、どこからどこまでが、実体験のある自分だったかに興味を持った。
でも、作らない自分とはなんなのか、その境界を探ろうとする度に、自分の存在自体が曖昧になっていく。
そんなに大した事もなく、誇れるような事もなく、自信がある訳でもなく。
寧ろ自分を知らなすぎた。
良くも悪くも空っぽだったと気付けた。
最初は戸惑ったが、本当はそれでいいのかもしれないとも思った。
そうなった自分の、何が困る事に繋がっていたのか、少しは落ち着いた今になって考えてみれば、恐れや憧れによって、何が不安なのか、何を求めていたのか、目を塞いでいたからだったかと思う。
自分の足元が見えず、一歩一歩確かに歩く事、当たり前の事を、疎かにしている事に気付けなかった。
だけど、その時はその時で精一杯でもあった。
自分なりに、どうこう、しようとしたかったからだった。
それは仕方がない。
でも、やっぱり誰かのキャラクターを真似ようと、それは自分じゃない。自分の足じゃない。
自分自身の姿を曖昧にしてしまう。
大事な空っぽの、等身大の自分自身から離れていってしまう。そう感じた。
演じる、仮面を被る、そういった事が悪い訳じゃない。
でも、結果として、どんなものにもあるのかもしれないが、困った事も起きてしまう事がある。
気が向いたらでいい。
今一度、少しずつでも、気にいるキャラクターからでもいい、自分自身が何をしたいのか、どういう行動を取れる、どういう自分で居たかったのか、考えてみるのはどうだろうか。
希望でも虚栄でもない、本当の自分がどこにいて、どんな事をしたがっていたのか、答えが上手く出せなくても、その結果わからないという答えが出てもいいから。
そして、キャラクターを被せたままでもいいから、出来そうな時に、自分自身に外の空気を吸わせてあげたらどうかな。
…あとね、生きる意味は、あってもなくても、必ずしも自分自身の、生きている、生きていくための確実な保障となるものではないと思うよ。
あくまで支えだと思う。何か本当に目的や意味があるのだとしても、それを抱き続けて、様々な道のりを歩くのは、本当に厳しい事かもしれない。
下ろせない荷物を背負ってしまった重圧のようなものを、人によって感じる事もあるかもしれない。
あえて、何か他に別の拠り所のようなものを考えるとすれば、それは自分自身の意思とか、内側にある言葉に表せないものじゃないかな。
確実に頼りに出来る訳ではないのかもしれないけれど、それは時に、下ろせない荷物の重さを感じないくらい、力になるかもしれないから。
主さんは人格を作り上げてまで、ここまで頑張ってきた。それは凄いことなんだと思うよ。
ななしさん
生きるのは辛い事の連続です。
だから、自分を守るために自分を偽る事は自己防衛として当たり前。
自分を卑下してはいけません。
自分を守るため、人は誰もが仮面を被り、別の誰かを演じる。
自分を守る武装なんですね。
新しいキャラが見つかると良いですね。
生きる意味ですか?
(ひそひそ話の様に)
「実は誰も持ってないんです。」
「有るような振りをしているだけ。」
「愛も夢も仕事も、子供達の未来と言う人がいるけど、実はその場しのぎ思い込みと希望的幻想なんですよ。」
貴方の生きる意味は、貴方が人生を重ねて死の寸前に分かるのです。
誰もが死の寸前で分かる事なのに、簡単に口にしているのだから、嘘臭さいよね。
見栄とか世間体とか虚栄心が、皆が口ずさむ生きる意味の正体。
貴方の生きる意味は、貴方が生き続ける事自体なんだよ。
人生の幸せの数は皆が平等と言います。
数は同じでも質が違うだけ、
親が愛してくれなくても、将来に出会う誰かに、皆以上に愛されるはずだよ。
納得いかない時は、また小瓶を流してね。
ななしさん
偽りは疲れませんか?
本当のあなたを、あなたは受け入れたくないから偽りを辞められないのですか?
素直に言えば傷付く事に恐怖を感じているから嘘をつき続けるのか、それか、嘘をつく事自体が辞められないのか。
すなわち、嘘を嘘だと認めなくないのか、嘘をつくのが癖になってしまっているのか…
理由は分かりませんが偽りは必ず後に剥がれてくれるものでもないので、あなたが苦労します。
良い子供を演じてきたのは、自由に子供らしく振る舞えなかった環境が要因か、または先天的に昔から妙に演技派だったのか…。
嘘をつくのに罪悪感が無いのなら、元々生まれもった貴方の素質かなと思いました。
罪悪感があるのなら、少なくとも嘘をつきたくないと取れるので、頑張って嘘を言う事を辞めるしかありません。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。