努力って何なのでしょうか。高校時代落ちこぼれ野郎が時間が経って思った話、長文です。
集団授業の塾と個別指導を掛け持ちしていましたが、それだけで安心しきっていました。
このままではマズイと思い、勉強に専念しようと思いました。高1の夏休み明けです。
2学期の中間テストは面白い位に順位が上がりましたが、そのままと勉強時間を増やすも、ゆっくりと下がって行くだけでした。
部活にも入っておらず、まるで受験生のような生活、そして私の勉強嫌い、折れるのは早く、半年ちょっとで心が折れました。基本的に塾の自習室籠もりだったのに、1年の学年末テストで赤点を一気に複数科目取ってしまった事もきっかけかも知れません。
ゆっくりと腐っていくかのように、塾の自習室にいても集中する時間は減っていき、その癖頑張らなきゃという意識はあるから学校から自習室に直帰。
2年の半ばに数学3が出てきた頃、数学の塾の先生が変わりそれを機に授業も定期テストを意識したものから受験を意識したものに変わりました。
授業と全く違う範囲を勉強、学校のテストも塾の宿題も両立出来ずに(もうこの頃には勉強に心が疲れていたのかも)、どちらも地の底へ。
元々勉強の予定立てというものが苦手な私は、勉強まで苦手に。3年の頃には全く勉強が手に付かなくなりました。頑張ろうと思うのに頑張ろうと思えない。そして罪悪感だけが膨らみ、それがいつの間にか希死念慮に。そうなると高校の友達とも上手く行かず(友達や親に被害妄想を抱えるようになってしまった)。
卒業式の日には友達との記憶が真っ白になり、数日後には名前も思い出せなくなりました。
浪人し、希死念慮は消えず、今はネットで一浪でその大学は「クズ」だと書き込まれている大学に入りました。
「他人から見ると努力していない事もある」と聞いた時、正論なのに頭が痛くなりました。自己満足の努力である、その通りだと思うんです。私の努力は結果が実を結ばなかった以上自己満足の努力した「つもり」だったのでしょう、きっと。では、あの時の辛さは何だったのでしょう。私は何に文字通り死にたくなる程追い詰められたのでしょう。不思議です。