ひとを目の前にしていても、いまいち気持ちを掴めない。
発する言葉をそのまま受け取ると、空気が読めない、気持ちわかってよ、と言われる。考えすぎるとまたずれている。
勝手に自分の感覚ではかって「分かるー」なんてのはお門違いと思うんだが、やっぱり少しはわかりたい。というよりも、完全にはわからないかも知れなくても寄り添おうとはしたい。
自分が「わかって欲しかった」名残だろうか?
せめて、喜んでること悲しんでいることを気づいてあげたい。
それが私にはものすごく力を使うことで、上手くわからなかったとき「なんでそんなこと言うの」「私はつらいのに」って言う相手の目をみるのが辛くて。気づいて「あげたい」という自分は一体何様だ?と考えやめることにした。
でもそんな風に、途方に暮れた顔されると思わずまた、「話 聞くよ?」なんて構いに行ってしまったのです。聞いてもなんにもできないのに、下手したら、「聞いてあげる自分」で満足してしまう私なのに。
また「あげたい」ばかりだ。
聞いてどうしようか。せめてぎゅーってしてあげたい、というのは無しだろうか。
私は、多分冷めているのか正直、本気の相談をされても「そんなこと他人の私は知らないよ…」なんて思ったりしてしまう。それを口に出さずに「辛かったね」なんて返事をする程度には私は冷めている。そんな風だから自分の気持ちも言えないんだろうなとは、思ってる。
私は、まだそうやって「必要とされ」たい。そうして愚痴をこぼされる時にばかり、自分はここにいていいんだと思う。いつも一緒に居る人の考えすらわからないで、せめて適当な当てはめで「わかったつもり」を演じないようにすることだけが本気で自分を嫌にならない手立て。
何が言いたいのかどんどんわからなくなってるな。
それでもさ、辛いとき話を聞かせて欲しい、ほんの一瞬だけでも心を軽くして欲しい、そこは嘘じゃなかったんだよ。ほんとはどうでも良かったんでしょ、聴きやすい言葉ばかりね、ある意味正解を言い当てて去ったあの人にも、私は信じて欲しかったんだ。
話、聞くって言ってしまったから。
せめて話したいだけ時間作ってあげたい、あったかいお茶持っていくからちょっとだけでも和んで欲しい、いっそ暴れてしまいたいのならそれもぶつけてくれたって良い。でもきっと私は、気を遣ってばかりのあなたに無理矢理にでも微笑んで「ありがとう」「美味しい」「ごめんね」って言わせてしまうのがかなしい。あなたはずっとしんどくても平気なふりをしていて、私はそれに こうして壊れそうな顔を見てしまうまでちっとも気づかなかったのがかなしい。
この頃は、わかって貰えないことよりも ひとをわからないことがとてもかなしい。
51722通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
善意と成果は別物じゃないかな。
宛メでもたくさんあると思うよ。
お返事を書いて喜ばれることもあれば、主を余計に悲しませたり悩ませたりしてしまうこともある。他の人からのお返事に主が喜んでいるのを見て、「ああこんな言葉を言ってもらいたかったんだな…」て今更気づくこともあるだろう。
誰もが自分なりに主のことを考えて、時間を使って書いた返事には変わりないのに、その全部が主を救うわけではない。
善意があれば必ず救えるわけではないというなら、その逆もしかりだよね。
誰かを救えなかったからといって、あなたの善意に価値がないわけじゃないと私は思う。
言葉を尽くしたり時間をかけたりしても、パズルみたいに相手の心にぴったりハマるものばかり出せるわけじゃない。
でもハマらなくても、言葉や時間というピースだけでも渡した事実が大事だと思う。
相手がいつか冷静になれたり、自分も悪かったと思い返したりして心の形を変えた時、当時はハマらなかったあなたのピースが急にハマったりすることもある。
あなたはこれまで通り、あなたが1番相手に誠実でいられる方法で接していればいいと思うよ。
ななしさん
みんな他人の気持ちなんか分からない。
自分の気持ちだって、よく分からないのに他人の気持ちなんて尚更分かるわけない。
冷めてるとか冷めてないとか、そんなのは問題じゃない。そもそも他人ってのは他人の気持ちを100理解する事は不可能ってこと。
寄り添う事が必ずしも良いとも言えない。いけない事はいけないよ!って教えてあげるのが本当の優しさだと私は思う。
冬
わかるってどういうことなんでしょうねえ。私も時々思い返します。
私のわかったと相手のわかって貰ったは天と地ほどの違いがあるというのがまずもっての土台かもしれません。
またわかって欲しいは共感なのか、あなたは正しいと言ってもらいたいのか、人もその場その場でも違うと思います。
だから一つできるとしたら、能動的に聞くことかな。ここでは詳しく書きませんが(とても長くなるので)検索くだされば出て来ると思います。
相手は解答を欲しがっていない時もあるという事実があります。私なぞはすぐに答えを出したがるので(ある意味、答えがいくつか思いつくので、勝手に決めつける)こちらが話してしまいますが、本当はわかってもらいたいは、話させて欲しいと同義語かもしれないと思います。勿論答えを欲しい人もいますが、ともかく黙って聞いてくれ、なのかもしれません。
ネットは言葉を発しないと難しいのですが、相対している相手なら、これを望んでいることが多いと思います。まさに上質のカウンセラーです。これは力が必要です。
カウンセラーにならなくても、少しは私たちにできるのが先ほどの聞き方です。
わかる、わからないは主さんだけの一方通行ではない気がします。ご自分を過度に責められませんように。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。