インターネット上にはあらゆる悪意が錯綜していて、読者は興奮しながら読みふける。さっきまで善良だった人間が、外から眺めていただけの人間があっという間に、どろどろとした悪意に取り込まれてしまう。素晴らしい肩書きをもった人間も汚い言葉で誰かを罵っているのを目にする。素晴らしい肩書きにつられて、悪意に取り込まれてしまう。
言語という記号はストレートに読み手に伝わる。日本語は表意文字だから、声に出さなくても意味が分かってしまうかもしれない。
仲間を探すためにインターネットという世界にやってきたけれど、争いごとが多いから見つけられそうも無い。次から次へと頭の中に情報が入ってくる。選んでる暇は無いから、取り合えず、見栄えの良いものを選んでおこう。価値の高そうなものを選んでおこう。誰かがそう言っていたからそうするだけ。
誰かが誰かのことを「価値がない」と言ったら、価値がなくなるのだろうか。周りの人にとって価値の無いものは、自分にとっても価値の無いものなのだろうか。
もしかしたら、多くの人にとって価値の無いものでも、自分の目には宝石のように映るもしれない。誰にも見つけることのできなかった、可能性を見つけたことになるのかもしれない。この可能性は、検索窓にいくらキーワードを放り込んでも見つけられないかもしれない。自分だけのものだ。検索ロボットがいくらインターネット上を巡回したとしても、僕(私)の頭の中にある宝石を捜し当てることはできない。
人間の生まれ持った頭脳の可能性をもう少し信じても良いのではないかと思った。