数日前に、被害者も、加害者も日頃からよく顔を合わせる知り合いが交通事故で、被害者が亡くなりました。私は、事故直後、駆けつけ、その状況の成り行きもあり被害者が病院に運ばれ数時間後に被害者の娘、息子さんが不在のまま最後を看取る事となりました。
私は、事故直後の、被害者の苦しいよ、苦しいよ、という今にも消えそうな声を覚えてます。その時、私は大きな声で大丈夫!!救急隊来たからね!!大丈夫!頑張って!!!!と叫んでいたのですが、亡くなりました。
息を引き取る30分前くらいからは面会できたので、意識は無くただ心臓だけが動いてる状態で、その時も、気丈に振る舞って、もう少しだけ頑張って!娘さん達もうくるよ!!頑張って!!と声をかけ続けたのですが、亡くなりました。脈が0になって、、色々お世話にもなっていたのでありがとうございました、と直接言えた事だけ、ほんとに良かったなと思っています。
その夜、家に帰ってから一気に力が抜けて崩れ落ち、動けなくなり、涙はでてこなかったのですが、1時間ほど、その場から動けないままボーっとして、少しして顔だけ洗って、缶ビール一本だけ飲みました。そしたら、涙がとめどなく溢れてきて自分にびっくりしたほどでした。その日は一睡もできませんでした。
それから、4日経つのですが、夜になるとお酒を飲んで涙を流すというクセみたいになってきているなと感じて、なるべく泣かないよう気を紛らわしたりしています。
泣いてもスッキリしなかったんです。
気を紛らわす何かをしてもスッキリしません。
もう大丈夫かもと思っても、朝起きると、今日はスタートからもうダメだ、、と思うときもあります。
その方が亡くなった事が悲しいのはもちろんなのですが、事故自体の事や、事故現場や、最後を看取った時の光景や状況が辛すぎて私が考えなくていい事までふと頭で考えてしまっています。
人にその出来事を話してもスッキリせず、気を紛らわすのにお酒のんだり、友達とただお茶したりしてもダメでした。むしろ私がそんな楽しい時間を過ごせてしまう事が、亡くなった被害者を思うと罪悪感さえ生まれてきます。
精神的にかなりまずいことになってるのかなと心配になったりもしますが、周りに、時間しか解決してくれないよねって言われると、とりあえず時間さえ経てば元の精神状態に戻れるのかな!!と少し希望はみえたりします。
浮かんだ事をそのまま文にして、大変乱文で、わからないことだらけの説明になっているかもしれません、すみません。
なんか、アドバイスというか、人から声をかけてもらいたくてメッセージを流しました。
職場での出来事だったので、本来は他言は厳禁な事だったので、あまり吐き出す場がなく、、ここに頼りました。
何か思った事がある方からお返事いただけたら幸いです。
53484通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
お返事が届いています
ななしさん
(小瓶主)
大変ありがたいコメントをお寄せくださった方々に感謝の気持ちでいっぱいです。また、涙が流れ出ましたが人の温かさに触れられて嬉しさと安心感の涙です。
ありがとうございます。
少しずつ心に余裕が出来て、時に爆笑したり、イライラする事もあったり、心地よい時間を過ごせたり、、と日常が戻ってきつつあります。
それ自体に罪悪感と、自分は薄情なんじゃないかと思ってしまう時もあるのですが、そんなこと、故人である知人は望んでもないと思いました。、、というかお陰様で思えました。
私は芸術家としても活動しているので、その活動を応援してくれていたその知人の為にもこの感情を無駄にしないで肥やしにするくらいの気持ちでまた芸を磨いていけたらと思います。
優しいお言葉をかけてくださった方、ありがとうございます。
ななしさん
カウンセラーに行きましょう。
カウンセラーには守秘義務がありますから話して大丈夫です。多少フェイク入れて話してもいいでしょう。
同じような事例をたくさん経験しており、どう折り合いをつけたら良いのか、アドバイスをくれますよ。
ななしさん
大変な状況を経験して大変でしたね。
PTSDになっているかも知れません。
一度、心療内科に言って
先生と経験した事、辛いことをお話する事をオススメします。
あまり
自分を責めないようにしてくださいね。
ななしさん
小瓶主さんが大変悲しい思いをしていることがよく伝わってきました。
浮かんだことをそのまま文章にしているとのことですが、読んでいてわかりやすかったです。
知人が事故で命の瀬戸際にいるという状況で最後の最後まで声をかけ続けられるって、とてもすごいことです。
上から目線のようになって申し訳ないのですが、よく頑張りましたね。素晴らしい行動です。その方にとって、心強い存在だったと思いますよ。
実際、私が交通事故にあった時、痛くて意識が途切れ途切れでもずっと聞こえた看護師さんの「大丈夫だからね」の声に励まされました。きっとあなたの声も、届いていたはずです。
事故の状況から最後まで、なかなかショッキングですね……小瓶主さんもわかっていると思いますが、紛らわそうと思って紛らわせられるものではないです。
このような状況でうまく気を紛らわせる人はほんの一握りでしょう。だから、紛らわせなくても仕方ない。
スッキリさせたいって気持ちより、スッキリさせなくちゃ!って義務感のある気持ちの方が強くなってきたら、一回思いっきりまた悲しんでみるのもいいんじゃないかな、と思います。ここまで書いておいてなんですが、こうしなくちゃいけないと決めると余計苦しくなってしまうので……。
また気持ちがグルグルしたら、同じ内容でもいいのでここに書いちゃいましょう!はきだしましょ!!
ななしさん
こんばんは。投稿読ませて頂きました。辛い現場にいらっしゃった事、
お気持ちお察し致します。まだ事故が起きて間もないということもあり、記憶も鮮明でさぞお辛い事と思います。私が思う事。それは亡くなる際に、一人ではなかったという事。これは亡くなられた方からすると凄く心強かったと思います。生きている間にお子さんを一目でも見たい、会いたいという気持ちはあったかと思います。ですが、お子さん達がもし間に合っていたとしたら、今度はお子さんも、苦しんでいる母を見て、さぞ辛い気持ちになった事だと思います。次に、私は身内を亡くしています。とても辛く、最初の数ヶ月は信じられない気持ちと、もう戻ってはこない。会えない現実に涙しました。でも、果たして泣いてばかりで、亡くなった人は成仏するのだろうか。と考えるようになりました。自分なら、自分が死んだ時、お葬式や一ヶ月くらいなら泣いて偲んでくれている事を申し訳ないながらに、嬉しく思うかもしれません。でも、それが長い期間続いていたら、私は嬉しくありません。私のことを少しの間、忘れてくれてもいいから、自分の人生を楽しんで欲しい!そう思うのです。決して、楽しんではいけない。とか罪悪感を覚える必要は無いのです。そこまで自分を追いつめては、人生を楽しめません。楽しい事があった時は、天国にいる方に、今日はこんな事がありましたよ!今日もあなたの分まで生きました。見守ってくれて有難う。と伝えてあげて下さい。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。